【浦項の風景】日本家屋保存事業

西日本新聞』の記事より。
浦項には一度だけ行ったが、浦項駅周辺と浦項工科大、あとは浦項空港くらいしか見ていない。
まだまだ知らないことはたくさんある。

[東アジア / 韓国]浦項(韓国) 「昭和」の記憶とどめる町
2009年06月23日更新

 韓国最大の製鉄会社ポスコ(旧浦項製鉄)があり、日本では「鉄都」として知られる浦項(ポハン)市は、植民地時代に日本人が住んだ家屋が今なお残る。朽ちた家々は「辛い過去」にも連なるはずだが、市は保存事業に取り組んでいる。製鉄所は戦後、日本の支援で建設された歴史があり、あらためて「昭和」を感じる町だ。

 市中心部から約20キロ離れた九龍浦(クリョンポ)地区。韓国では人気の珍味「クァメギ」(サンマの寒風干し)の産地として有名なこの漁港に、日本家屋が点在している。市によると、1902年に山口県から漁船50隻が来たことを契機に、33年には香川県の漁民ら約220世帯が移り住んでいたという。

 家に入ると、障子の色はあせ、壁ははがれ、畳も日本人が引き揚げ時に持ち帰るなどしていて、痛みも激しい。市は一帯を「日本人家屋通り」と名付けて47軒を保存対象にし、往時の写真と日韓の説明文を付けたプレートを設置。状態のいい家を改装した広報展示館では当時の日本人住民から集めた話を紹介している。今でも、この事業に反対する市民はいるが、「浦項の歴史を証言する貴重なものです」と市担当係長の金世垣(キムセウォン)さんは強調する。

 漁港を見渡す丘へ向かった。かつて神社があったという。「子どものころ毎日、参らなければならなかった」と地元の徐相浩(ソサンホ)さん(89)。「あれを見てください」。セメントが塗られた石碑があった。「日本人の功労碑で、解放後(戦後)、地元の人たちがああしたんです。鳥居も壊した」

 それでも徐さんは「私は嫌なことはなかったし、九龍浦の人はおおむね日本人にいい印象を持っていたと思う」と言う。開発の遅れに、そうした地元感情も加わって、日本人の家々が残ったのだろうか。

 市中心部に本社があるポスコ全羅南道光陽(クァンヤン)市の工場を含め、世界有数の生産規模を誇り、工場見学もできる。工場は65年の日韓国交正常化に伴う対日請求権資金などで建設され、73年に高炉が稼働し始めた。敷地内の「ポスコ歴史館」(2003年開館)では朴泰俊(パクテジュン)名誉会長が創業時を回想した証言を紹介する。世界銀行などから融資を得られず、対日請求権資金の存在に「製鉄所をつくれる希望があると思った」と踏み込んでいる。

 日本家屋とあわせて回ると、20世紀の日韓関係を別の視点で考える旅となりそうだ。


http://qnet.nishinippon.co.jp/travel/report/overseas/asia/east/post_387.shtml