任実護国院再訪

「墓なんて見に行って何がわかるの?」と訊かれることがあります。
行けば行ったでいろいろわかることがあるんですよ。
何がわかるのかを表現する言葉がわからないことは多いですけど。


とにかく、任実護国院を再訪したのです。前回の訪問についてはこちらをどうぞ。


前回の揉め事を教訓に、今回は高速バスターミナルから10分おきくらいに出ている全州行きの一般高速バス(11500ウォン、所要時間3時間弱)に乗り、全州高速バスターミナルから川沿いに数分歩いたところにある全州市外バスターミナルに移動して、そこから任実経由南原行きの市外バス(3000ウォン)に乗った。そしてついに、懐かしの任実共用バスターミナルに着いたのである。ここから乗るのは「農漁村バス」と呼ばれたりもする郡内バス。

任実護国院までは1300ウォン。時間を計ってみたら到着まではおおむね20分といったところだった。


「忠烈館」という名の納骨堂は前回、「リモデリング中」とのことであったが、そのリモデリング=改装が進展しているようにはまったく見えない。ここは当分、行けるところまで墓域に墓碑を立て続ける腹積もりのようだ。


中央で行なわれているのは、いわゆる「安葬式」。これには個別と合同の2種類があるとのことなのだが、そのどちらであるかまでは確認できない。たぶん合同だったと思われるのだが。

ちなみに、その式典の奥の墓域は、前回来たときにはまだ利用されていなかった。下の写真は、前回、上と同じエリアを撮影したもの。

各エリアで増えている安葬者の数は、年間1000人から数千人単位であることは確実である。作られた各人の墓域の数が、減ることなく増える一方だとすれば、どんなに広い空間を確保して一人当たりの墓域面積を狭くしたところで、しょせんは程度問題である。いつかは満場を迎えるほかない。


とは言えここは、早々に満場を迎えた永川とは違い、まだまだ受け入れの余地を残しているし、その後に忠烈館の納骨堂改修や壁式納骨堂新設を計算に入れれば、満杯状態を迎える時期はさらに先延ばしすることができる。


その間にここがどのような状況の変化を蒙り、どのように変容していくのか。永川との間で生じる「時間差」は、おそらく興味深い差異を生むはずである。