「死んでもいい」と思える知らせ

「死んでもいい」と「死にたい」とは似て非なるもの、なのだろう。

「これで死んでもいい」と思える知らせを聞く喜び。

「何かを引き継げた」と思える幸せ。


「もう死んでもいい」と思えるようになるために、人は生きているのかも知れない。

「死にたい」と思うわけではないが、「いつ死んでもいい」と思う。

その境地には程遠いが、その境地にたどり着いてみたいとは思う。

今日一晩は、嬉し泣きに暮れたいと思う。