釜山の地下鉄1号線梵魚寺駅を降りて山手に向かう道を上っていくと、釜山の公設墓地としてよく知られた영락공원(永楽公園)がある。
広大な土葬墓域は文字通りぎっちりといった感じで広がっていて、今回のようにちょっと行ったくらいではとても全貌を把握できない。
例えば、下調べもなしにこうしたお墓を訪ねて行こうとしても、おそらく相当難儀すると思われる*1。
【写真】李秀賢さん6周忌
01年日本留学中に東京の新大久保駅で線路に転落した日本人を助けようとして死亡した李秀賢(イ・スヒョン)さんの6周忌を2日後に控えた24日、故人の母シン・ユンチャンさんと妹スジンさん、父イ・ソンデさん(左から)が釜山永楽(プサン、ヨンナク)公園内にある李秀賢さんの墓を訪れた。 李秀賢さんの6周忌追悼式は26日に日本・東京で行われる予定。
2007.01.24 18:08:45
釜山=宋奉根(ソン・ボングン)記者http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=83988&servcode=400§code=400
ただ、それらの墓域はとりあえず措くとしても、こちらには現在、釜山市立の火葬場と納骨堂があり、今回はそちらの方を主に見ることにした。
ここで特徴的だったのは、火葬場に「葬墓文化展示館」なるものが併設されていたこと。
「わが国の葬墓文化の歴史」「世界の葬墓文化」「葬墓文化の未来」といったここの展示は、さりげない形で「葬墓文化の先進化」へと人々と導いていくように構成されている。公立墓地におけるこのある意味での「親切さ」、あるいは「善導志向」と言うべきか、これはなかなか興味をそそられる。
いっぽう、納骨堂は一段高いところに二棟設けられている。
納骨堂の材質や形式はどちらも基本的には同じ。内部はアルミニウム製であるらしいが、外装は合成樹脂製である。これが二棟にわたって上から下までぎっしりと並べられている。
受け入れられているのはおおむね1990年代半ばから2000年代にかけて亡くなった人々である。移葬によって空いたと思われるところが所々に見られるので、まだ満杯というところまでは行っていないが、釜山市の規模を考えれば、これだけではとても需要に応えることはできないだろう。
ということで、釜山市が最近新たに作ったのが、추모공원(追慕公園)である。1970年代の釜山の共同墓地であった白雲公園近くにあるこの追慕公園は、地下鉄1号線の終点で総合バスターミナルのある老圃洞駅前のバス停から37番のバスに乗って30分ほど。このバスはおおむね20分間隔で出ているのでそれほど不便なところではない。
安葬者の受け入れが始まって間もないこちらでは、巨大な納骨堂のごく一部しかまだ利用されていないが、建物式納骨堂のほか、屋外には壁式納骨堂および家族式埋葬墓域(6人1基・12人1基)が広がっていて、韓国第2の都市・釜山の葬墓需要については当分こちらで受け入れることになると思われる。
「韓国の葬墓文化の先進化」を担うという意味では、以前に訪れた銀河水公園と同様の位置づけでいいと思うのだが、現在のデフォルトとなりつつある「火葬+納骨堂」を別にすると、「その先」の方向性は若干異なっている。芝生葬・樹木葬が定着していくのか、それとも何らかの形で個別性を残していこうとするのか。今のところはまだ模索中といったところなのだろう。
かくしてこのツアーも、こちらにつながって終わりとなったのである。
*1:…なんて書きましたけど、実は火葬場の建物からアクセス道路を挟んですぐ前の、よく目立つところにあります。