敗れてなお人を魅了した濟々黌野球

そうそう、そうなんですよ。2007年の佐賀北がかぶるような雰囲気が、確かにありました。投手も、守備も、攻撃も、一瞬たりとも怯んで気後れするところがありませんでした。

今回の甲子園出場、そしてあの善戦は、決してフロックではなかったと思います。

公立進学校が大阪桐蔭に善戦。済々黌がいつか“佐賀北”になる日。 - Number Web

試合後、悔し涙を見せる済々黌の選手たち。熊本からやってきた大応援団は、大阪桐蔭の選手に「(済々黌の)アルプススタンドの黄色の大声援はかなりプレッシャーに感じました」と言わせるほどだった。
photograph by Hideki Sugiyama

 大番狂わせの気配――。

 それは、確かにあった。

 この日の第2試合は、春夏連覇をねらう優勝候補の大阪桐蔭と、18年ぶり出場の公立進学校・済々黌(熊本)の対戦だった。

 試合前、済々黌の監督・池田満頼は、こう語っていた。

「力通りいけば、うちが負けると思います。でも、向こうに油断があったり、ミスが出れば、こっちにもチャンスはある。プラスαの部分で勝ちたいですね」

 言葉の内容以上に、池田は落ち着き払っていたし、闘志を隠し持っているように感じられた。

■'07年夏、「ミラクル」と称された佐賀北の監督に似た雰囲気。

 明らかに実力差があると思われるカードの場合、格下のチームがファイティングポーズを取れているかどうかは、だいたい指揮官の雰囲気でわかるものだ。

「勝負はともかく……」といった保険をかけるような言い方をする場合は、やはり戦う前からすでに呑まれていると感じるし、結果も往々にしてそうなる。

 池田が発していた空気は、2007年夏、全国制覇を果たし「ミラクル」と称された佐賀北の監督、百崎敏克の雰囲気とだぶった。

 その年、佐賀北は、準々決勝で、全国制覇3回という実績を持つ帝京とぶつかった。強豪私学に公立進学校が挑むという構図は、この日と同じだった。戦前、百崎敏克はこう話していたものだ。

「うちが勝つと思っている人は誰もいないでしょう。確かに、練習試合だったら十回やったら十回負ける。でも、本番は違う」

 怖れているわけでも、気負っているわけでもないその佇まいは、ひょっとしたらと思わせた。そして実際に、延長13回裏、4−3でサヨナラ勝ちを収めてしまったのだ。甲子園史に残るジャイアント・キリングだったと言っていい。

 本番は違う――。

 池田の心中も、同じだったに違いない。

“黄色い”大声援に感謝 済々黌ナイン帰熊


出場報告会であいさつする済々黌の西口貴大主将(右から3人目)=熊本市中央区の同校(大倉尚隆)

 第94回全国高校野球選手権大会(甲子園)で県代表として戦い、3回戦で敗退した済々黌ナインが19日、帰熊。熊本市中央区の同校に戻り、甲子園で評判になった“大応援”にお礼を述べた。

 ナインはJR熊本駅で新幹線からバスに乗り換え、同校に到着。生徒や教職員、保護者らの出迎えを受けた。本館玄関であった出場報告会で、県高野連会長も務める中西眞也校長や野球部OB会の丸本文紀会長らが「済々黌の文武両道の精神を発揮し、多くの人々に感動を与えてくれた」と健闘をたたえた。

 原口琢磨部長が「(スクールカラーの)黄色で染まったスタンドからの大声援を背に、選手はひるむことなく戦った」と報告。西口貴大主将は「目標の全国制覇は達成できなかったが、それ以上に温かい声援がうれしかった。これからは“文”(勉強)にも集中したい」とあいさつした。

 18年ぶり7度目の出場だった済々黌は、初戦の2回戦で鳴門(徳島)に3−1で勝利。18日の3回戦では優勝候補の大阪桐蔭に食い下がったが、2−6で敗れた。(坂本尚志)

熊本日日新聞2012年08月20日

http://kumanichi.com/fsports/kousien/summer2012/kiji/20120820001.shtml

熊本は有力校がひしめくなかなかの激戦区ですが、濟々黌の新チームも期待して見てみたいと思います。