ハードルを立てる人間の佐賀

自分が飛ばなくてもいいハードルだと、気楽にいくらでも上げることができます。

恋人や結婚相手の条件なんて典型的です。

自分が自分の相手になることはありませんから。

巨乳だろうが高収入だろうが言いたい放題でOKです。

でもこれが、自分も飛ばないといけないハードルになると、ちょっと慎重になります。

自分は飛べるものでないと意味はありませんし、

いっぽうでできるだけ高い方が、ハードルの存在意義は高まります。

誰でも、自分を基準にしてハードルを立てていますから、

立てられたハードルが、その人の身の丈をわりと露骨に表しています。

(自分も飛べない高いハードルを設定してしまう人は、別に何か事情があるのでしょう。)

つまり、自分基準で立てたハードルは、

別の誰かにとっては突起にも見えないかもしれないと同時に、

また別の誰かにとっては、

「こんなのも越えられないお前はゴミだ」

というメッセージになるかもしれない、ということです。

(というか、既にそうなっています。)

そして。

自分が立てたハードルの高さの根拠になっている自分の能力を一つ一つ引き剥がし、

その分だけハードルを下げていくと、

人間が底の底のどん底で、何を根拠にしてハードルを立てようとするかが見えてきます。


○○であること。

××でないこと。

当てはまるものはいろいろあります。


でも、もっと底の底に見えてくるもの。

あれはたぶん、国籍・人種・性別です。

生まれに関することばかりですね。