スマートフォンへの感謝

ふーむ、なるほど。今回は若干見解を異にしますね。結論としてはあまり変わらないような気もしますけど。

スマホの夏休み - 日経ビジネスオンライン

携帯電話をなかなか持とうとせず、周囲に散々迷惑がられた私ですが、固定電話から携帯電話、そしてスマートフォンへという技術の進歩には、わりと素直に感謝しています。

それは、「それがなかったらなかなかつながらないままだったはずのつながりが、よりスムーズにつながるようになったから」という、ほとんどその一点に尽きます。

それはある意味、「電話」から「電話でない何か」へと変わっていった過程であるのかもしれません。

それはあるいは、「電話をかけなくてよくなっていく過程」と言い直していいかもしれません。

思えば、スマートフォンの時代よりも携帯電話の時代、携帯電話の時代よりも固定電話の時代のほうが、私は電話をかけたりかけられたりしていました。


根本的なところでの電話嫌いは、ちっとも変っていません。むしろ深まっています。

そもそも電話に出ませんし。私が電話に出るのは、かけてきてくれたことが嬉しい人に対してだけ。

それ以外はまあ、気が向いた時か気の迷いか何かの間違いか、それとも何かを諦めて投げやりになったか、そのどれかだと思って間違いありません。

呼び出し音も、気付かないか気にしないか。結果として無視するという意味では、同じことです。

それはそれで申し訳ないので、お詫びのしるしに、可能な限りのギリギリまで、こちらからも電話はかけないようにしています。


要するに、「連絡取りたかったら、狼煙でも上げといてください」ってことです。