伏見と大津の陸軍墓地

伏見は京都、大津は滋賀ですが、両地は歩兵第9連隊の駐屯地という線でつながっています。1925(大正14)年に大津から伏見に移駐したという経緯です。

歩兵第9連隊 - Wikipedia

旧軍の遺構はともにあまり残っていませんが、墓地については今も訪れて確認することができます。

JR稲荷駅や京阪深草駅から近い伏見の陸軍墓地は、跡地が合葬納骨墓方式の京都市深草墓園となっています。その園内には旧軍関係の記念碑・慰霊碑が今も残っていて、それらは誰でも見ることができます。






大阪の真田山などもそうなのですが、日本の軍人墓地は、明治初期には個人墓を設けていたものが、戦死者が急増した日露戦争を契機として階級別の合葬墓を設けるようになっていき、満州事変以降は階級の区別もなくした合葬墓となっていきました。大正末に移駐した聯隊ゆかりの墓地だとすると、当時からもともとここには個人墓がなかったのかもしれません。

残っている碑の一つ、「歩兵第九聯隊将兵英霊合祀之碑」には、「大津陸軍墓地英霊をを遷してここに祀る」という趣旨の文章が刻まれています。ただし、移駐以前の戦死者の個人墓や合葬墓は、後述するように大津にそのまま遺されていました。




ということで大津。JR湖西線大津京駅、京阪石山坂本線皇子山駅が最寄りになります。場所が少しわかりにくいのですが、皇子が丘公園を奥に上っていき、駐車場を過ぎてバイパスをくぐった先にあります。





墓地内は非常に手入れが起き届いており、残っている墓碑群もよく保たれています。斜面の上部から順に将校・下士官・兵卒と階級別で墓域が分かれている点は、近代日本における軍人墓地の特徴です。他でもよく見られます。



階級ごとに墓碑の大きさや配置のされ方などが違っています。



兵卒墓域になると、階級なしで名前だけという墓碑もかなりあります。



ところで、この墓地は眼下に通っているバイパスの工事で一部敷地が削られたようで、そのことを示す石碑や改葬したお墓の合葬墓が下士官墓域と兵卒墓域のバイパス側にそれぞれ設けられています。事の経緯を記した石碑は兵卒墓域の合葬墓にあるのですが、どうも言葉足らずな気がします。言いたいことはだいたいわかるのですが…。




また、大津の陸軍墓地としては、京都移駐後の昭和期の戦争についても引き受ける気でいるようです。戦後になってから新たな慰霊碑や供養のための施設が各所に置かれており、それらをひっくるめると、「大東亜戦争」期も含めた「慰霊の地」としてここが位置づけられていることは明白です。軍部隊の歴史を考えればやや奇妙なことですが、これについては戦後の慰霊動向をめぐる問題として、戦前の事情とは独立させて考える必要があるかもしれません。



ともあれ、こうしたネタについては、私の雑で適当なウダ話だけでなく、旧軍遺構に造詣の深いこちらのブログも併せてご参照ください。

kanレポート - 伏見に残る陸軍遺構

kanレポート - 大津陸軍墓地


追記:大津陸軍墓地(および滋賀県内の戦争関連墓地・記念碑)に関しては、こちらのブログで非常に詳細な調査がなされています。

http://nostalghia.asablo.jp/blog/