一昨日のこの記事の追記というか補遺になりますが。
その後になって、少し当時のことを思い出しました。
その時書いた2010年の訪問の前、2009年の2月にも、国立4.19民主墓地とともに李儁のお墓を訪れていました。その時に墓域を写真に収めていたこともあって、2010年の時にはほぼスルーしたのでした。
2009年当時の写真から何枚か。墓域そのものはたぶん、今もそんなに変わってないはずです。
そのスジの人が萌える、朴正煕揮毫の碑はこんな風に見ることができます。
また、この巨大な墓域の一角には、ハーグにあった李儁のお墓そのものも移設されています。李儁が亡くなったのは1907年のことですが、この墓域は、朴正煕政権後期に当たる1970年代の歴史記念事業の空気を今に伝える歴史遺跡ともなっています。