錦南路4街駅から南西にほぼまっすぐ歩いていけば、光州川を越えたところで光州公園にぶつかります。旧全南道庁からもそう遠くはありません。
この公園の入り口にある碑を見ればわかる通り、ここは1980年の光州事件当時、市民軍が編成された土地として「光州民主抗争史跡」の第20号に指定されています。
が、そのことだけでこの公園を理解したつもりになってはいけないと思います。そもそも、この公園は光州事件の時点ですでに「意味ある」場所だったからこそ、人びとはここに集まったはずです。
例えば、公園内のこの建物。かつての韓国反共連盟、現在は韓国自由総連盟の光州支部・全羅南道支部が入っています。
そのすぐ隣には、「4.19追慕碑」があります。いずれも、1980年当時にもそこにあったはずのものです。
そこからさらに一段高くなった奥には、光州・全南地域の朝鮮戦争戦没者のための顕忠塔や、位牌奉安所などがあります。
こうやって公園の主だったところをさらっと撫でただけでも、ここに留められている歴史の記憶が重層的なものであることは、すぐにわかります。
重層性という点からもう少し続けたいネタもあるのですが、それについての続きはまた改めて。