ブラタモリで札幌・小樽を復習する。

いやしかし、いつにもまして面白かったですね。前回の札幌編と今回の小樽編。

去年の人生初の札幌・小樽の旅とかなりの部分で行き先がかぶっていて、懐かしくもあり、事後的に「そうだったのか」と知ることもあり。

これはやはり、いつかまた再訪しないといけませんねえ。

https://twitter.com/buruma87/status/662948695155982336

https://twitter.com/shira_ry/status/665478196360441856

小樽の市街地造成、100年前の痕跡発見 「ブラタモリ」ロケきっかけ、14日放送
11/11 15:18、11/12 17:58 更新


小樽市花園3の一角に残る高台。上に民家が1軒建っている

【小樽】明治30〜40年代に山の尾根を削って造成された小樽・花園地区の繁華街の一角に、「削り残し」とみられる高さ5〜6メートルの高台が民家1軒分、残されていることが北大名誉教授とNHKの番組スタッフの調査で分かった。100年前の市街地造成の痕跡が今も残されていることに、市民や歴史ファンの関心を呼びそうだ。

 小樽市総合博物館や小樽観光ガイドクラブの山川隆顧問によると明治時代初期、花園周辺には人家がほとんどなく、水天宮から現在の小樽公園にかけて緩やかな丘陵が連なっていた。明治30年代に入ると、南側の勝納・入船地区と、北側の稲穂・色内地区が先にひらけたため「街を分断する格好になっていた」花園の丘陵を削る必要が生じた。最大で高さ10〜12メートルの地面を削って平らにならし、市街地が造成されたという。

 一帯には1899年(明治32年)に芝居小屋「住吉座」(後の松竹座)が開設。商店や民家が次々に建ち並び、発展していった。

 高台が残るのは、花園橋から南に約50メートルの地点。NHK総合の街歩き番組「ブラタモリ」のディレクター良(よし)鉄矢さん(32)が見つけた。明治時代の市街地造成の痕跡を探し、花園一帯をしらみつぶしに歩いていたところ「不思議な高台」を発見。上には民家が1軒建っていた。地質に詳しい松枝大治・北大名誉教授に調査を依頼、市街地が造成される前の地層と確認された。

 松枝さんによると、この高台の地質は「流紋岩質凝灰岩」。小樽がまだ海底にあった約1100万〜1200万年前、海底火山の噴火により形成されたものという。色は白っぽく、スコップなどで簡単に削れる軟らかさが特徴。当時の小樽は急速に発展し人口も増えていたことから、松枝さんは「(区画整理の完了を待たず)更地になり次第、どんどん建物を建てていったため、こういう“削り残し”が生じたのでは」と推測する。

 番組は14日午後7時30分から放送予定。良ディレクターは「普段目にしているものにも意外な歴史が眠っている面白さを番組で伝えられれば」と話している。(市村信子)

http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doo/1-0200533.html

とりわけ今回の小樽のテーマ、急激な衰退からの観光都市化という意味では会津若松、水郷の再生という意味では近江八幡などにも通じますね。どちらも面白い街です。