天皇杯準々決勝:万博記念競技場ラストマッチでガンバ大阪がサガン鳥栖を振り切る。

熱心なサポーターの方々に比べれば、私の万博観戦経験など微々たるものですが、それでもJリーグ発足当時から足を運んできたスタジアムです。そこでの事実上最後の公式戦となるこの試合には、この20年余りを振り返って思うところもいろいろあります。

さらば万博記念競技場 ガンバ本拠、きょうラストゲーム
大部俊哉 増田啓佑 山中由睦 2015年12月26日15時37分


ガンバ大阪の本拠地、万博記念競技場(手前)と新スタジアム(奥)=7日午後、大阪府吹田市朝日新聞社ヘリから、内田光撮影

 サッカーJ1のガンバ大阪が26日、1993年のJリーグ発足から本拠としてきた万博記念競技場でのラストゲームを迎える。築40年余。近くに完成した新スタジアムに舞台を譲る。多くの人に愛された競技場に、選手やサポーターが最後のパフォーマンスを見せる。

 吹田市の大学教員坂井大吾さん(36)はJリーグ発足前年の92年、ガンバの前身、パナソニックガンバ大阪の試合観戦で初めて万博に来た。当時中学生でサッカー部に所属。大きな競技場に圧倒され「自分もここでプレーを」と憧れた。

 部活が休みの時は家族や友だちと万博に通い、社会人になってもほぼ全試合観戦した。30歳を過ぎてガンバ主催のイベントでピッチに立ち、ボールを蹴った。スタンドで見てきた芝の感触に胸いっぱいになった。

 試合後は、競技場周辺に出店が並ぶ「美味G(おいじい)横丁」で仲間とお好み焼きを食べ、ビールを飲む。選手のバスを見送り、大阪モノレール公園東口駅から帰る。お決まりのコースともこの日でお別れだ。「子どものころからずっと身近な存在で、たくさんの出会いがあった。万博に育ててもらった。感謝ですね」

 茨木市で電器店を営む松永豊さん(66)は、Jリーグ発足当初から年間シートを買い続け、観戦は300回を超える。「万博は大きすぎず、臨場感がある。観客同士もまとまりやすい」

 定位置のメインスタンド中段の席は、鮮やかなオレンジが色あせ、傷も増えた。試合前に雑巾で拭くのが習慣だった。チームが好調な時も苦しい時も、思い出はこの場所とワンセットで焼き付いている。「一抹の寂しさはある。ひとまずお疲れさまでした、と言いたい」

 それぞれの思いを胸に天皇杯準々決勝、サガン鳥栖戦の応援に臨む。(大部俊哉)

■「思い出は心の中に」

 選手たちにとっても万博は特別な場所だ。

 ガンバのFW宇佐美貴史選手(23)は2歳からゴール裏の最前列で両親と観戦した。18年前、エムボマ選手が決めたリフティングからの左ボレーシュートが忘れられない。「サッカーを好きになるきっかけを与えてくれたスタジアムです」

 チームは05年にJ1初制覇。14年にはJ1、天皇杯ナビスコ杯の3冠を獲得した。降格も経験し、13年はJ2を戦った。

 主将を務め、現在はジュニアユースのコーチを務める宮本恒靖さん(38)は「ガンバは23年間、万博で歴史を刻んできた。笑ったこと涙したこと、たくさんあった。万博での思い出は心の中にあり続ける」。(増田啓佑)

■子どもの舞台に

 ガンバのパスサッカーを支えてきたのが、万博の天然芝だ。相手チームからも「プレーしやすい」と好評だった。

 大阪府箕面市の稲治造園工務所の藤崎昭広さん(63)は、11年前から万博の芝を管理してきた。毎朝7時半に来て芝の状態を確認。冬は17ミリ、成長しやすい夏は11ミリにそろえる。「芝は声を出さない。こまめに見てやんないとね」

 水を与えすぎると根が育たず、抜けやすい。「子育てと一緒で甘やかしたら自力で成長せん」。だから散水は週3回。「90分の試合を連続でしても大丈夫」と自負する。

 ガンバは来季から1キロほど離れたサッカー専用、4万人収容の新スタジアムに移る。万博は一般のスポーツ大会の舞台として残り、藤崎さんが引き続き面倒をみる。「ガンバが去ってもグラウンドを守り続けなあかん」(山中由睦)

     ◇

 《万博記念競技場》 大阪万博の収益金を元に建設され、74年に公開。87年にスタンドを、93年にナイター照明を増設した。現在のJ1所属チームのホームスタジアムの中では、名古屋グランパスパロマ瑞穂スタジアムに次いで2番目に古い。敷地面積は5万5千平方メートル。スタンドの収容人数は2万1千人。


2008年11月、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)でガンバ大阪が優勝。サポーターは万博記念競技場の大画面で応援した


選手を励ますサポーター=2005年11月、万博記念競技場


ピッチ上で躍動する宇佐美貴史選手=2015年5月、万博記念競技場


現役時代の宮本恒靖さん(右)=2005年8月27日、万博記念競技場

http://digital.asahi.com/articles/ASHDR54P2HDRPTIL008.html

その試合は、途中追いつかれながらもガンバ大阪サガン鳥栖を振り切って、天皇杯4強進出を決める一戦となりました。何はともあれ、勝ててよかったです。


祝福と別れの2ゴール=宇佐美、3カ月ぶり−天皇杯サッカー・G大阪


前半、先制ゴールを決めるG大阪の宇佐美(右)=26日、大阪・万博記念競技場

 来季から新スタジアムを使用するG大阪にとって、万博では最後の試合。宇佐美が2点を奪い、別れを会心の勝利で飾った。「思い入れのあるスタジアム。最後にゴールで終われたらと思っていた」。日本代表を除けば、3カ月ぶりのゴールだった。

 前半26分の先制点は見事な動きだしから。2列目からスルスルと抜けて、DFの背後で倉田の縦パスを受け、きれいなトラップから左足で決めた。24日に第1子の長女が誕生したばかりとあって、ゆりかごダンスで祝福した。「まさか自分で決めるとは。娘が力を貸してくれたと思う」

 追い付かれた後半には、31分からゴールネットの補修で7分の中断。その直後に相手の動きが鈍ったのを逃さなかった。右サイドの崩しから、長沢の落としたボールを受け、左足で決勝点をもぎ取った。

 3日後の準決勝では、J1王座を奪われた広島と再戦する。「力で劣っているわけじゃない。自分たちが勝っているということをぶつけたい」。勢いづいたエースが雪辱を誓った。(2015/12/26-19:36)


後半、勝ち越しゴールを決め、喜ぶG大阪の宇佐美(左)=26日、大阪・万博記念競技場

http://www.jiji.com/jc/zc?k=201512/2015122600144

「MOMはゴールネット」と言われるような珍事もあったようですが、普段とは違う天皇杯仕様だったことが影響したのかもしれません。結果的にサガン鳥栖には不運な展開となったのは申し訳ないのですけど、後々まで語り継がれるようなエピソードが、ガンバ敗戦の記憶と結びつかなくて幸いでした。

G大阪4強 万博がアシスト?ネット下がり7分中断
[2015年12月26日23時6分]


「ありがとう万博」とかかれた横断幕の後方で盛り上がるG大阪サポーター(撮影・築山幸雄)

天皇杯:G大阪3−1鳥栖>◇準々決勝◇26日◇万博

 23年間の歴史に幕を閉じた万博の“アシスト”でG大阪が2大会連続で4強進出を決めた。

 1−1の後半31分。GK東口の頭上で突如ゴールネットが垂れ下がった。鳥栖に押されていた苦しい時間帯に試合は7分間中断。ボールボーイ同士で肩車して、バーにネットをくくりつける緊急修繕を行った。

 その後、流れは一転。再開から3分後にFW宇佐美貴史(23)が勝ち越しゴール、さらに1分後にFW長沢駿(27)がダメ押し点を決めた。

 宇佐美は「(万博の)粋ないたずらがありましたね」とニヤリ。MF倉田は「あの中断は大きかった。でも、ネットが外れるなんて見たことなかったから…不思議な出来事」。MF今野も「ネットが外れるなんてビックリだよね」と、まるで別れを惜しむかのように中断した万博の“後押し”に驚いていた。

http://www.nikkansports.com/soccer/news/1584417.html

G大阪1万2132人“神通力”働いた?ゴールネット破れる

天皇杯準々決勝 G大阪3―1鳥栖 (12月26日 万博)


万博ラストゲームを勝利で飾り「ワニナレナニワ」で喜ぶG大阪イレブン Photo By スポニチ

 最後の万博に“神通力”が働いた。鳥栖ペースで迎えた1―1の後半31分、G大阪側のゴールネットが破れ、補修のために7分間の中断。再開後にG大阪に流れが戻り、宇佐美の決勝弾が生まれた。

 1万2132人のサポーターが訪れ、ゴール裏には「ありがとう万博」の横断幕。01年にG大阪に加入したMF遠藤は「長い間使ってきたし、良いゲームもあれば悪いゲームもあった。勝って終われて良かった」と感慨深い表情で振り返った。

[ 2015年12月27日 05:30 ]

http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2015/12/27/kiji/K20151227011757690.html

さああとは、サンフレッチェ広島浦和レッズと連破して、気持ちよく新年を迎えたいですね。