さて、続きです。前回は紅門(홍살문)のところまででしたから、今回はその先についてです。
【山清の風景】国立山清護国院・その1:アクセスと墓域の手前まで
紅門をくぐると、すぐ右手に屋外祭礼壇があります。合同形式のものではなく、いちおう個別の祭壇が一列に並ぶ形になっています。これくらいならいいですけど、列をなすほど混み合ったら、ちょっとせせこましいかもしれませんね。
そこからでももう少し見えていますが、この祭礼壇のすぐ上から、墓域が始まっています。
多少デザインが入った屋外型納骨壇の配置といい、透明アクリルの内蓋と石板状の外蓋の付いた個別の納骨壇の形状といい、2008年に竣工した利川護国院と同じタイプです。この感じだと、いま造成中の槐山護国院も、おおむねこんな感じになるんでしょう。
敢えて利川と山清の違いを指摘するなら、納骨壇の外蓋のデザインですかね。山清はずいぶんシンプルで穏やかな、白磁を思わせるものになっています。
利川のあの「歴史絵巻調」は、あんまり評判よくなかったんでしょうか。確かに、いささか派手派手すぎてうるさかったかもしれません。あるいは題材的にネタ切れしたのかも…。
閑話休題。現状では、まだ開院したばかりということもあり、利用されているのは祭礼壇にいちばん近い「1−1区域」にとどまります。もちろん、先を見越した納骨壇の設置は進められています。
さらに奥に進むと、土地の造成工事は済んでいるものの、納骨壇の設置工事はまだ行われていないエリアが広がっています。この辺は、利川と同様、受け入れつつ工事を進めていくのでしょう。
これだけの用地があれば、全体工事の完成も当分先でしょうね。
敷地のいちばん奥には、未開通の道路が見えます。将来的には後門ということになるかな?
その先は私有地の農園っぽいのですが、道路を通すことも考えられてなくはなさそうに見えます。
地図を見ると、正門と後門の配置はこんな感じになっているので、ことによると山清護国院自身が智異山に通じる国道の抜け道(特に南沙里あたりを回避するルート)となる可能性もあります。まあそんな風にはしないと思いますけど。
ともあれ、ここに来るまでに地元住民の激しい反対があった山清護国院。結局はこうして「できてしまった」わけです。その是非はともかくとして、この国立墓地はまだ開発途上なので、地元地域も含めた全体として「どのようになっていくのか」については、ある程度間を置きながらの経過観察が必要でしょう。
また来たいと思います。そのうち、利川や槐山にも行かないといけません。