いつの「北京」のイメージか:千葉県市川市の「北京通り」
毎日新聞の記者さんはよくご存じなのでしょう。きちんと律義に「かつての北京を連想させる」と注釈入れています。
憂楽帳 北京通り
毎日新聞2015年11月20日 東京夕刊千葉県市川市の京成八幡駅近くの市道は、「北京通り」という俗称で呼ばれる。自転車の通行量が非常に多く、時に道路を埋め尽くす光景が、かつての北京を連想させるからだ。
ある日の通勤・通学時間帯。一方通行の狭い道幅いっぱいに自転車が広がり、次々と駅方面に向かう。左側通行などどこ吹く風。登校中の児童の横を猛スピードですり抜けたり、スマートフォンを見ながら運転したりする人もおり、ぶつかりそうになった歩行者が「危ない!」と叫んだ。
「交通マナーの悪い場所」だとして、県警は5月、ここで交通ルールの違反率を調査した。朝の1時間で、遮断機をくぐって踏切に入った1人を取り締まり、30人に口頭で警告した。ただ違反率については「自転車があまりに多くて算出できなかった」という。
住民からは「子供やお年寄りが安心して歩ける道にして」という声が上がり、市は歩道と車道を区分するカラー舗装などの対策をとってきたが、劇的な効果はない。誰がいつ加害者になってもおかしくない。【森本英彦】
危険性自覚を 3駅集中、千葉・市川「北京通り」
毎日新聞2016年4月6日 13時14分(最終更新 4月6日 13時21分)
千葉県警の警察官が交通整理をする中、多くの自転車が行き交う通勤時間帯の「北京通り」=千葉県市川市で2016年3月15日午前8時10分、小川昌宏撮影幅5メートルの道を埋め尽くす自転車、自転車、自転車……。千葉県市川市八幡3の京成八幡駅前の市道は、自転車であふれたかつての中国・北京を連想させることから「北京通り」と呼ばれる。通勤・通学時間帯には自転車が一方通行の道いっぱいに広がって連なり、遮断機が下りた踏切への侵入も後を絶たない。道路交通法が改正され危険行為の取り締まりが強化される中、県警市川署は特別班を発足させ、マナー向上に乗り出した。6〜15日は春の全国交通安全運動。【円谷美晶】
午前7時45分。踏切の遮断機が上がると、自転車が数十センチ間隔で走り出した。男性も女性も、子供も高齢者も黙々とペダルをこぐ。
ピピーッ。「お待ちください!」。警報機が鳴って遮断機が下り始め、市川署員が制止したのに、若い男性が線路内に入った。署員は停車させて交通切符(赤切符)を手渡し、3年以内にまた切符を切られれば県警の安全講習を受けなければならなくなる、と注意した。講習は3時間、手数料5700円。最後にテストが行われる。
昨年6月に改正道交法が施行され、信号無視や一時不停止、ブレーキのない「ピストバイク」など、自転車の取り締まりが強化された。市川署などによると、改正法施行から2月末までに千葉県内で摘発された自転車の危険行為は89件。酒酔い運転(44件)に次いで多かった遮断機の下りた踏切への立ち入り23件のうち、15件を「北京通り」が占めた。「会社に行くため急いでいた」「学校に遅刻しそうだった」などと話す人が多いという。小学生の通学路でもあり、歩行者と自転車がぶつかりそうになる光景が毎日、繰り返される。
同署は2月に交通課と地域課の署員で「自転車安全対策班」を設置した。通行量が最も多い午前7時半から1時間、署員十数人で取り締まる。「『この踏切を一つ逃したら遅刻する』という焦りや、『みんなやっているから大丈夫』という集団意識は禁物です」
市川署などによると、北京通りに自転車が集中するのは、起伏が少ないため自転車利用者が多い▽京成以外にJRや都営地下鉄の駅も近い▽朝は自動車の通行が規制される−−ことなどが要因。北京通りと並行して走る県道は路肩や歩道が狭く自転車は通りにくい。だが現在、拡幅など道路改良の予定はないという。
同署は市や県自転車軽自動車商協同組合などとも連携し、利用者のマナーアップを図る方針だ。延沢加寿雄署長は「北京通りが自転車マナーのモデル地区になるくらい、しっかり指導していきたい」と話す。
事故の危険性や交通マナーの問題はまあそれはそれとして、そこで使われている「(かつての)北京」のイメージって、いったいいつのものなんでしょうか。
とりあえず、こんなヤツでしょう?
Kingdom of Bicycles – China in 1980s – CityBikr 城市骑车人
タイトルにあるように、これらの写真は、いずれも1980年代のものです。
今となっては牧歌的に見えるこんな光景、私の知る限りでは、もう北京のどこにも残っていないと思います。もちろん、自転車に乗る人がいなくなったわけではありませんけど、この30年ほどの急速なモータリゼーションとすさまじい勢いで伸び続ける地下鉄網の発展で、「自転車であふれる通勤通学の風景」は完全に過去のものです。
そもそも、北京では「踏切」というものを、あまり見かけませんねえ。
とすると、もしかしたら、ですよ。市川市のその光景は、中国人にとって「過去の懐かしい光景」に見えるかもしれない、と想像したのです*1。
多少のノスタルジーを含みつつ「先進国から発展途上国を見る」といった、日本人が周囲のアジア諸国を見るときに長らく習慣化されてきた眼差しで、いま日本は眼差されている。少なくともそういう眼差しがありうる。そんなことを、ふと思いついたのでした。
*1:まあ、かつての中国に比べれば、絵面的にスケールと迫力が足りないような気がしますけど。