南阿蘇村の笠浩二

古くは南郷谷と呼ばれた阿蘇山の南側、白水・長陽・久木野の三村が合併してできた南阿蘇村は、私自身、縁あって何度も訪れたことのある場所で、その時にお世話になった方が何人もおられます。お見かけしたことはありませんが、笠さんが移住されたことも聞いていました。

阿蘇大橋や俵山トンネルが崩落し、電気も水道も不自由するという状況で、村内には亡くなった方もいるという中、皆さんお辛いこととは思いますが、一日も早い復旧をお祈りします。

twitter.com

CCB笠浩二、南阿蘇から「無事」を発信 熊本地震
[2016年4月18日7時42分 紙面から]

f:id:bluetears_osaka:20160419102018j:plain
C-C-Bの笠浩二

 バンドC-C-Bのボーカル兼ドラム笠(りゅう)浩二(53)が、熊本地震で大きな被害が出ている居住地・熊本県南阿蘇村からネットで無事を伝えていることが17日、分かった。ただ厳しい状況のようで、一時的に更新がない時間帯には、安否を心配するファンの声が相次いでいる。

 笠は14日夜に震度7地震が発生して以降、フェイスブックツイッターを何度も更新、揺れへの不安や、「負けないぞっ」などと前向きな気持ちを記した。16日午前3時55分に同村で震度6強の地震があった後、フェイスブックで「今、車です。家族はみんな無事」と書き、車で自宅から避難したことを書いた。

 16日午前6時13分に「停電中のために電源の確保にも乏しく、連絡がうまくできそうにありません。この後、状況が良くなり次第、連絡をさせていただきますので、申し訳ありませんが、ひとまずお休みいたします」と記した後、一般公開される記事がしばらくなくなり「とても心配です」「ただただ無事を祈るだけです」などのメッセージが多数寄せられた。

 17日夜までに更新を再開しファンらを安心させたが、笠は両親やイヌ、ネコが無事であることを明かしつつも「電気、水道、全てダメになり」「ラジオ以外情報はなく部屋は真っ暗でローソクを灯すだけ」などと厳しい環境も記した。

 笠は80年代にC-C-Bメンバーとしてヒット曲を連発。99年に実家のある阿蘇地方に活動拠点を移した。農業を営む両親を手伝いつつ08年、南阿蘇村で念願の音楽スタジオを設立。ツイッターなどで自身を「南阿蘇の仙人」と記すほど同地を愛する気持ちが強い。

 笠浩二(りゅう・こうじ)1962年11月8日、福岡県生まれ。83年「ココナッツボーイズ」メンバーとしてデビュー。85年バンド名を「C-C-B」に変更し同年、TBS系ドラマ「毎度おさわがせします」主題歌「Romanticが止まらない」がヒットしNHK紅白歌合戦に初出場した。当時のメンバーは笠、渡辺英樹さん(15年死去)、関口誠人、田口智治、米川英之。笠はピンクの髪と眼鏡でドラムをたたく姿が人気となった。バンドは89年武道館公演で解散。笠はその後ソロ活動や楽曲提供やテレビ・CM出演など幅広く活躍。08年C-C-B再結成。今月8日には、校歌を作曲をした南阿蘇村立南阿蘇中学校の開校式に出席した。ちなみにC-C-B元メンバーの田口は14日、覚せい剤取締法違反容疑で2度目の逮捕。

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1633506.html

CCB笠浩二南阿蘇村で受けた恩を「返したい」
[2016年4月19日1時43分]

f:id:bluetears_osaka:20160419102212j:plain
南阿蘇村の自宅でふるさとの復旧、復興に向けて元気を出して頑張りますとピースサインをしてくれたC-C-B笠浩二(撮影・清水優)

 南阿蘇村で音楽活動を続けるC-C-B笠(りゅう)浩二(53)が18日、同村の自宅で取材に応じた。南阿蘇村の自宅は木造平屋建て。16日未明の地震では、家具が倒れるなどしたが、同居の両親ともに全員無事だった。電気、ガス、水道が止まっているが「村の他の人に比べたら、うちなんかなんでもありません。湧き水もあり、野菜も米もある。いなかの強さです。僕は元気です」と笑顔を見せた。

 南阿蘇村では、土砂崩れや家屋倒壊で多数の犠牲者が出ている。「亡くなった方が出た時、すごくショックでした。大きな橋が落ち、村の中の道はズタズタです。僕が、村のために何ができるか。考えています」。

 SNSで、村の状況を発信しているのも、行動の1つだ。「ありがたいと思うんですけど、ファンのみなさんがとても心配してくださっている。僕が何か言うことで、村に今必要なものが伝えられればいいなと思っています」。

 停電が続いているが、隣の母方の実家の発電機を借りて充電しながら、発信を続ける。「携帯とルーターでネットにつないでいるんですけど、通信事情が悪くなっているので、少しずつですけど、発信は続けたいと思っています」。

 99年に、先祖代々の土地である南阿蘇村に移った。父良幸さん(86)と母レイ子さん(78)と3人暮らし。拾ってきた犬「リキ」とネコの「チビ」と3人と2匹の生活を送ってきた。「長男だから、墓を守らないといけないし。農業をやろうと思って帰ってきた」。

 父の仕事の関係で、北九州市で生まれた笠は小学校1年で東京に移った。「生まれてもいないし、育ってもいない『エセ熊本人』なんです」。最初は友人もいなかった。東京の便利な暮らしも恋しかった。それでも、村祭りなどを手伝ううちに、音楽の演奏する機会があり、みんなが喜んでくれた。

 「最初は農業やるつもりだったんですけどね。ここで音楽を続けられると思っていなかったけど、やっぱり音楽やってほしいと言われて。すごく喜んでもらえて。友人もできて。当初は、このいなかの静けさがさみしくて、不便でと思っていたんですけど。村の人たちにすごくよくしてもらって、今がある」。

 今春、村の3校の中学校が統合し、南阿蘇中学校が創立し、校歌を頼まれた。「校歌を作ってほしいと言われたのが、本当にうれしくて。これでエセ熊本人が、阿蘇人になれたのかなって」。作詞は阿蘇の友人の黒木よしひろさんに頼み、作曲を担当した。

 4カ月かけて、黒木さんと議論しながら、2曲を作り上げた。校歌はマーチ。愛唱歌として、統合した3校の伝統のハーモニーを思い、ワルツ。「11日の入学式には、中学のブラスバンドと一緒に僕がドラムをたたいて演奏し、みんなで歌いました。すごくうれしかった」。5日後、大きな地震が南阿蘇を襲った。

 昨年7月に急逝したベースの渡辺英樹さんを亡くしたショックは大きかった。それでも、校歌に関われたことで、「もう1度、村で一から頑張ろう」と思った。しかし、今月14日にはキーボードの田口智治容疑者(55)が逮捕された。そして、地震が追い打ちを掛けた。つらくないと言えばウソになる。

 ろうそくの灯りをともした居間での取材中にも、緊急地震速報が鳴り響き、強い揺れに家がギシギシなった。「5強くらいですね」。度重なる余震で、震度が分かるようになった。村の被害をラジオで聞く度、心がふさぐ。それでも、受け入れてくれた村の人たちに受けた恩を「少しでも返しをしたい」。村が甚大な被害を受けた今だから、その思いを強く胸に持って、何ができるか、考えている。

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1633859.html