【ソウルの風景】阿峴洞の二つの顔:憂鬱な亀裂
こちらの続き。
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ということは、実質的にはこちらの続きです。
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陵谷→DMC→合井→弘大入口→上水→合井と、京義線と6号線と2号線に乗って歩いてまた乗って、次にやって来たのは2号線の阿峴駅。
4番出口から出ると、かのバンソクチプ街に直でアクセスできます。以前よりいっそう寂れてきましたね。姿をとどめている店舗が心もち減ったような気もします。
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ただ今回の目的地その1は、こちらではなく、その裏に長く伸びている阿峴市場です。阿峴駅すぐのところから伸びるアーケードの反対側の入り口を探して西へ西へと歩いたのですが、バンソクチプ街のあるあたりを越えてけっこう先まで回り込まないといけません。
このポイント、なかなか面白いですね。アーケードは東側に口を開けていますが、西側と南側を向いた写真を並べてみると、こうなります。
阿峴市場が、その延長線上にある西側とは生活圏として直結しているいっぽう、南側から見下ろしているアパート群とは文脈的に全然つながっていないことが、よくわかります。あっちの上層階からこっち側はどう見えてるのか…永登浦のタイムズスクエアの屋上から南を見下ろすような感じなのかもなあ。
市場を歩けばより実感できます。あのアパートの住民が、日常的にこっちに買い物に来ることは、まずないでしょう。
この場所感、かつてはどこにでもあった珍しくもなんともない人々の生活の蓄積で成り立っています。
この生活感の集合体は、阿峴駅側でも阿峴市場入り口で途切れるわけではなく、その先の道路の向かい側にも同様に広がっています。
阿峴市場から向かって、左に曲がれば、阿峴駅3番出口。
右に曲がれば、阿峴中学校・初等学校の後門。ということは、そこにはかつて、あのポチャがありました。
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跡地は、実にわかりやすく、やたら小奇麗な舗装と、尋常ではない密度で無粋に並べられたプランター。そこまでやった隙間で、おじさんが熟睡してます。
なんでここのポジャンマチャが標的にされ、強制撤去されたのか。改めて現地に立ってみると、理由は明らかです。
かつてポジャンマチャが立ち並んでいた場所の端っこに当たるT字路。よく見るとここ、坂の上のアパート群に出入りする入口になっています。そこの住人が阿峴駅やエオゲ駅の方面にクルマで降りてくるとき、真正面にまず見えてくるのが、このポジャンマチャだったというわけです。
ウィンドウ越しのそっち側の目線を想像してみれば、目障りだったんだろうなという想像はつきます。そっちからすれば、奥深い阿峴市場は入り口の頭しか見えませんが、初等学校・中学校前に並ぶ店舗は、蛇が土手っ腹を晒して寝そべってるようなものですからね。
ということは、撤去されたポチャと同じ並びにまだ残っている店舗群が次の標的になるだろうことは、誰でも予測がつきます。
麻浦区が明確にそっち側の肩を持っている以上、「その日」が来るのはそぉ遠いことではなさそうです。
要するに、いま目にしているのは、阿峴洞に古くから暮らす住民の生活圏が、再開発によって徐々に囲い込まれ、その包囲網が狭められていくプロセスのワンカットというわけです。