【仁川の風景】仁川家族公園2019夏・1:入口から外国人墓域と墓域外郭路入口まで
この夏の記録を整理する暇がなかなかなく、初日の清州から2日目の仁川の最初で止まったままなのですが。
とっとと片付けないとあっという間に年末が来そうなので、ボチボチやります。このへんの続きです。
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イエローハウスから移動して仁川家族公園。定点観察ポイントとしてこれまで何度かまとめて記事にしてきたので、今回は変化の差分に注目しつつ、記事にしていくことにします。
案内図もちょっと新しくなってる気がします。こんな道の名称、昔はついてなかったはず*1。
ま、これも早晩替えられると思いますけどね(理由はたぶんいずれ後述)。
ここから伸びる道は、家族公園への唯一の進入路です。ここに掲げられた横断幕は、家族公園のホットイシューを知るための情報源になります。
「どこも回廊型は人気ないなあ」とか、「さっきの答えがもう出てるやん」とかいったことです。
途中の展示広報施設は、私くらい来てるとさすがに飽きてきますが、巨大な仁川家族公園の全体をイメージするのには、ここの立体模型はいいですよ。作ったら作りっぱなしではなく、現状に合わせてちょこちょこ修正や追加を加えてありますから、かなり参考になります。
で、ここからが本題の墓域。
最初期の自然葬地「常緑芝自然葬」は、あまり変化がないので、ここはざっと見て通り過ぎます。
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ここを過ぎて人生の道に迷い込んだら、円形の納骨堂・錦馬塚の向かい側に外国人墓域が見えてきます。
思い出すなあ、去年の豪雨。
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ここの写真は、去年豪雨の中で傘差しながらけっこう撮ったので、今回は心もち軽めに。
日本人墓域も変わらずそこにあります。二段にわたって墓碑が並べられていますが、以前の場所のあり方やそこからの移し方を見ても、ここにあるのは植民地時代の日本人墓地に残されていた墓碑(のみ)でしょう。放置された墓碑を集めてまとめているという意味で、無縁墓と言ってよかろうと思われます。
日本人関連では、釜山の永楽公園にも似たものがありますが、あちらは位牌を収め、名簿を石板に刻んでいますから、仁川とは若干様相が異なります。
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さて。
仁川家族公園の外国人墓域の奥に、こういうものがあります。
これは、仁川家族公園の敷地の外周をぐるっと取り囲む「墓域外郭路」の入り口になります。
非常時や墓地施設の維持管理、また登山客のための通行路で、狭くて危険なので作業車以外の車両進入を禁止する、とのことです。
ま、つまりは、歩いて入り込む分には問題ないってことです。
そんな気にはちょっとならなかったですけどね。
こういうところの向こうの尾根筋を回ってるみたいですし、たぶんしんどいわ危ないわ人がおらんで寂しいわと、いろんなことが重なってやってきそうでしたから。そもそも登山って、あんまり好きではないんです。
ただ、いつか、すんごい暇で気候がよくて体力が有り余っていれば、やってみるかもしれません。
*1:確認してみたら、2018年には既にこうなっていましたが、2015年にはありませんでした。