「一身にして二生を生きた」と我が身を振り返ったのは、福沢諭吉だったでしょうか。
一身にして二生を生きることはできます。
でもそれは、あくまで直列に、です。
一身にして二生を並列に生きることはできません。
二生を合わせてやっと一生です。
ここではないどこかへ行けば、世界が広がる。
というのは実は、錯覚です。
そこで得られた何かの分、確実にどこかで何かを失っています。
未来が無限大に思える子どもであれば、そうした錯覚も仕方ないでしょう。
けれどもどうやら、人の親になったくらいでは、まだまだ十分ではないようです。