指宿で再発見された元会津藩士の巡査の墓

これは正直ちょっと、びっくりやな。西南戦争で派遣された警察官ということであれば警視隊やろし、福島県士族ということであれば会津藩出身である可能性も高く、であれば元家老の一等大警部・佐川官兵衛とともに九州にやってきた可能性すらある。

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会津の巡査どん、鹿児島に眠る 西南戦争で派遣、コレラに倒れる 現役巡査が情報元に墓を発見 指宿
2024/01/06 11:53


山中にある加藤忠平巡査の墓を捜し当てた肥後屋修平巡査部長=指宿市岩本

 鹿児島県指宿市岩本の小高い丘に福島県出身の警察官の墓がある。西南戦争があった1877(明治10)年に亡くなり、地域住民が建てたとされる。指宿警察署の署員有志と住民が昨年末、墓を捜し当て、雑木を切り払って参拝できるように整備した。

 墓や指宿署に残る資料などによると、葬られているのは会津士族の加藤忠平二等巡査。西南戦争の際に指宿に派遣され、コレラにかかって病没した。墓は国指定史跡「今和泉島津家墓所」の裏手の山を登った頂上にある。日清日露の戦没者碑や西南の役戦没者碑の横に登り口があったが、雑草木が生い茂り、長らく場所が分からなくなっていた。

 岩本駐在所の肥後屋修平巡査部長(41)が問い合わせを受けて調べたところ、1973(昭和48)年に草むらから発見され、かつては「巡査どんの墓」と呼ばれていたことなどが分かった。しかし、墓の存在は地域住民にも忘れられており、昨年末、有志を募って捜索した。署に残っていた簡略図を頼りに、やぶに分け入って石で囲まれた墓を見つけた。

 捜索に参加した馬場畑末治さん(68)=同市小牧=は「墓の存在を知らなかったので驚いた。見晴らしのいい場所に建てられていることから、地元の人とも親交があったのだろう。地域の宝として残したい」と話した。


〈関連〉福島県士族であることが記された墓の側面

https://373news.com/_news/storyid/188045/

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大分県護国神社に眠る警視隊警察官の同僚なのだろうか。コレラで病没ということであれば、靖国神社への合祀はされていないのだろうか。知りたいことは山ほどある。

blue-black-osaka.hatenablog.com

会津から九州に赴いて、阿蘇の草に埋もれていた佐川官兵衛を再発見した相田泰三氏や塩谷七重郎氏も、この人物のことは知らなかったのではなかろうか。

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