【滋賀の風景】幻の風景。

彦根と長浜の間の某所。数年ぶりに訪れた場所。

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ここは、こんな何もないところではなかった。

ここには、のんびりした山羊と、人の良さそうなわんこと、「乾パンは、自分で砕いてから、こっちに持ってくるもんやで」と目で教えてくれる鶏たちと、話好きなちょっと変わったおっちゃんがいる管理小屋やら倉庫やらがあったはず。

あったはず…やと思う。狐が群で川沿いに降りてきて鶏を狙うって話、ここで確かに聞いたはず。

今となっては、そんな体験をしたことを裏付けるものは何もなくなっている。みんなあれからどうしたのか、知る術もない。

仕方ない。何も手がかりがないなりに、いろいろ思い出しながら、思い出の絶品タマゴサンドを食べよう。

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『大きい女の子は好きですか?』第6巻

映画化されたものの、新型コロナウイルスの影響もあって、公開自体ができない状況が続いていましたけど、8月公開が決まったみたいです。池袋なので、ちょっと行けそうにはないですけど。

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www.youtube.com
www.cinemarosa.net

先行配信もやってるみたいです。

www.biggirls-movie.com

で、それはそれとして、第6巻です。

やっとインカレの話が出てきて、私は嬉しいですよ。まだまだ道は長そうですけどね。

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メンバーは揃いつつあるし、ちゃんとベンチワークも駆使したマジ試合を将来的には期待しますよ。『ハイキュー!!』みたいなやつを。
(3巻分くらいエロなしでもええわ。異論は認める。)

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いずれにせよ、エース・薫っちの覚醒に草太が不可欠なのは言うまでもなく、いまだ俊敏さとやる気を維持するリベロ・部長の(スタイル)復活もカギを握ってるのは依然として草太であって。

で、博多体育大との決戦には、すべてが間に合うんですよね?

東海地方最後のドムドム、桑名で閉店の日を迎える。

ああ、またドムドムが一店、星となって消えていく…。

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桑名には何度か行ったことがあっただけに、「行っておけばよかった」と思わずにはいられません。

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ただ、何はともあれ、お疲れさまでした。

桑名のドムドム閉店 82歳店主「長くやりすぎました」
大滝哲彰 2020年7月3日 10時30分

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オーナーの太田勲さん=2020年6月11日午前11時54分、三重県桑名市、大滝哲彰撮影

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最終日、多くのファンに見守られシャッターを閉める太田勲さん。この日は開店90分でバーガーが売り切れた=2020年6月30日午後1時51分、三重県桑名市、大滝哲彰撮影

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店内の様子=2020年6月11日午後0時8分、三重県桑名市、大滝哲彰撮影

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閉店半月前、店前には長蛇の列ができていた=2020年6月14日午前11時4分、三重県桑名市、大滝哲彰撮影

 47年にわたって地元に愛され続けた「ドムドムハンバーガー桑名FC店」が6月30日、閉店した。「ドムドムのおじちゃん」と呼ばれ親しまれた82歳のオーナーは、「やりきりました。悔いはないです」と振り返る。

 店は、三重県桑名市の桑名駅改札直結のビル「桑栄メイト」の2階にある。47年間この店を切り盛りしてきたのが、オーナーの太田勲さん(82)だ。

 「特にようけ売れるわけでもなかったけれど、47年間、ダメだと思ったことは一度もなかったよ」

 1973年、桑栄メイトが建設され、35歳だった太田さんはテナント入居の権利を取得。「喫茶店でもやろうと思った」と言うが、弟が当時の運営会社の親会社のダイエーに勤務していたこともあり、ドムドムフランチャイズを始めた。

 前年には、近くの商業ビルで「寿がきや」の経営も始めていた。97年にこの商業ビルが閉業になるまで、25年にわたってドムドム寿がきやを同時に営んでいたことになる。朝から寿がきやで勤務し、休憩時間からドムドムで働き、夕方で店を閉めたら寿がきやに戻る。そんな日々を送っていた。「あの頃は若くて体力があったから」と振り返る。

 47年間毎週欠かさず三岐鉄道に乗って訪れるおばあちゃん、親子3代で来てくれる常連の客、かつてアルバイトで働いていた青年――。「一番印象に残る出来事はありますか」。思い切って聞くと、うつむいて少し考えた太田さんはこうつぶやいた。「たくさんあるからねえ」

 「ドムドムフードサービス」によると、初出店は東京都町田市に1970年。国内初のハンバーガーチェーンで、マクドナルドよりも早い。2017年に運営会社が代わるまでは、ダイエーの子会社「オレンジフードコート」が手がけていた。1990年代には全国で約400店舗を構えていたという。だが、ダイエーによる米国発祥のハンバーガーチェーンの誘致やダイエー自体の衰退が重なり、90年代後半には多くが店を閉めた。2020年7月1日現在、全国で26店舗を残すのみとなっている。

 桑名FC店でも、桑栄メイトが8月末に閉鎖・解体されるため、店も立ち退きとなった。半年ほど前から太田さんの体調も優れず、閉店することにした。閉店当日、昼過ぎにシャッターを閉めた太田さんは「しんみりしますね。長くやりすぎました」と話した。(大滝哲彰)

https://www.asahi.com/articles/ASN7233D1N6ZONFB00X.html

J3開幕戦、ガンバ大阪U-23は白星発進

ガンバが勝てば何でもいいとは言いますが、いい内容であればなおさらのことです。昨年からブレイクの兆しを見せていた唐山翔自の2ゴール、こうして開幕から結果を出して見せてますね。ここに来るまでにいろいろあった今年、どこまで成長するか楽しみにできる選手がいるのは嬉しいことです。

www.youtube.com

あー、生で観たいなあ。

G大阪U23白星発進、唐山プロデビュー開幕戦2発
[2020年6月28日22時40分]

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G大阪FW唐山(2020年1月8日撮影)

明治安田生命J3:讃岐2-3G大阪U-23>◇第1節◇28日◇ピカスタ

ガンバ大阪の新人、FW唐山翔自(とうやま・しょうじ、17)がプロデビューの開幕戦で2ゴールなど、全3得点に絡んで逆転白星発進に貢献した。

前半21分、MF市丸の左CKにファーサイドにいた唐山が、相手DFの背後から身長178センチの高い打点のヘディングシュートを決めて先制。1点を追う後半30分には、MF市丸のクロスに右アウトサイドに軽く触れる、技ありシュートで同点に追いついた。無観客試合で記念すべきプロ1、2号となった。

「プロデビュー戦は人生で1度しかないので楽しもうと思った。(1点目の)ヘディングはあまり得意じゃない。あんなヘディングはしたことがない、自分でもびっくりした。ここで勝つことが、トップチームへの近道なので点を取っていきたい」

ただ2点目に関しては、オンラインでの記者会見で「僕は触っていない。(クロスを出した市丸)瑞希君のゴールです」と、正直に申告してしまうのも17歳らしさだった。それでも、公式サイトでは唐山の2得点と発表されている。

G大阪下部組織育ちで現在高3の唐山は、飛び級で今季のプロ昇格を勝ち取った。高2だった昨季は、ユース所属の2種登録でJ3に出場。9月1日福島ユナイテッドFC戦でJリーグ史上最年少となる16歳11カ月でハットトリックを記録し、シーズン10試合8得点。U-17ワールドカップ(W杯)日本代表にも入った。

この試合、同点で迎えた後半35分には、唐山が自身のポストプレーからFW川崎の決勝点を演出した。全3得点に絡む最高のプロデビューとなった。

森下監督は「今日は半数近くが(大阪から香川へ)当日移動して、このメンバーでは練習試合は1つもしていない。選手がやるべきことやってくれた」と評価した。G大阪U-23チームは基本的にトップチーム優先となるため、常に一定の人数で練習ができずに、ユース選手も半数近く加えての編成になる。この試合は控えGKもおらず、サブ選手は4人しか入っていなかった。

https://www.nikkansports.com/soccer/news/202006280000896.html

G大阪U-23が開幕接戦制す!ユース出身2選手の躍動…17歳FW唐山2発、19歳FW川崎が再逆転弾
20/6/28 22:19【Jリーグ 一覧】

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17歳FW唐山翔自が2ゴール ※写真は昨季のもの

[6.28 J3第1節 讃岐 2-3 G大23 ピカスタ]

 J3第1節が28日に開催された。ガンバ大阪U-23は敵地でカマタマーレ讃岐と対戦し、3-2で勝利。今季からトップチーム昇格を果たした17歳FW唐山翔自が2得点、同じくトップ昇格した19歳FW川崎修平が1得点を挙げた。

 G大阪ユース出身で現在高校3年生の唐山は今季からトップチームに昇格。しかし昨夏には2種登録でJリーグデビューを果たしている。G大阪U-23での2019年7月28日のJ3第18節・長野戦(1-2)でデビューを飾り、初得点。8月4日の第19節・八戸戦(2-2)で先発入りすると、2ゴールを挙げた。さらに9月1日のの第21節・福島戦(6-0)ではハットトリックを達成し、16歳345日でのハットトリックJリーグ最年少記録を樹立。昨季はJ3で8得点を挙げた。

 同じく今季昇格を果たした川崎も昨季に2種登録でJリーグデビュー済み。G大阪U-23で臨んだ11月4日の第29節・相模原戦(○3-2)でJ初得点をマークし、その翌試合にもゴールを決めている。

 唐山は今季開幕戦で先発メンバー入りを果たすと、前半20分、左CKからファーサイドに流れたボールを頭で合わせて先制に成功する。しかし後半19分、20分と讃岐に決められて逆転を許してしまう。

 しかしG大阪U-23は後半30分に再び追いつく。MF市丸瑞希が左サイドから右足でインスイングのクロスを上げると、ゴール前に嗅覚鋭く走り込んだ唐山がワンタッチ。唐山は開幕戦での2ゴール目で試合を振り出しに戻した。

 さらにG大阪U-23は後半35分、川崎が中盤でボールを持つと、急加速のドリブル突破。相手2選手を置き去りにして、PA手前から放った右足シュートをゴール右隅に突き刺した。

 そのまま試合は終了し、G大阪U-23が再逆転の3-2で白星発進。唐山は試合後のインタビューに答えており、「コロナでサッカーができない中で、もどかしい気持ちがあったんですけど、改めてサッカーが楽しいと思ったし、嬉しいです」と喜びを語る。先制のヘディングは「あんまりヘディング得意じゃないんですけど、自分でもびっくりしました」と振り返りつつ、「ここで結果を出し続けて勝つことがトップチームへの近道。毎試合、点が取れるようにがんばりたい」と意気込みを語った。

https://web.gekisaka.jp/news/detail/?303891-303891-fl

福井県高校野球大会、「背番号ある球児の保護者」のみ観戦許可、虚偽申請は出禁。

何なんすかね、これ。

「3年生のみ背番号21以降での選手登録を認める」とか言ってますけど、要するに「背番号21以降の3年生は、本来ベンチ入りできなかった選手」って烙印を押されているわけですよ。

そもそも、「選手登録を認める」って言いますけどね。登録された選手は全員、試合出場できるんですか?「出場できない選手登録」なら意味不明ですし、出場できるなら学校間で選手層の格差が出ますよね?

記録員やマネージャーの扱いは?1・2年生の保護者は、子どもがベンチ入りできるかできないかで扱いを変えられて気にならんの?

ハッキリ言って、「こんなことするくらいなら、初めから出禁=無観客試合にすれば?」と思うのですが。

福井県高校野球大会、観戦の条件決定
背番号ある球児の保護者のみ、虚偽申請は出禁に
2020年6月27日 午前7時10分

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福井県営球場福井県福井市

 福井県高校野球連盟は6月26日までに、今夏の独自大会「福井県高校野球大会」(7月18日開幕)で観戦できる保護者について、背番号を付けた選手の保護者とすることを決めた。人数は1チームあたり100人までとするが、可能な限り少なくするように求める。

 大会は、新型コロナウイルス感染症の影響で中止となった今夏の全国高校野球選手権福井大会の代わりとして、県高野連が独自に開催。感染拡大防止のため、部員、指導者、保護者を除き無観客試合とする。

 ベンチ入り選手は20人だが、3年生のみ背番号21以降での選手登録を認める。各チームには観戦する保護者を事前に申請してもらう。入場前に検温を行い、37・5度以上の発熱がある場合は入場を禁止する。スタンドでは間隔を空けて座ってもらい、大声を出しての応援は控えてもらう。試合中の球場への入退場はできない。

 県高野連では、虚偽の申請が判明した場合は全試合で保護者の観戦ができないようにする。

https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1112499

毎日新聞の大阪人権博物館(リバティおおさか)訪問記と、ソウル新聞の関連記事

先日の朝日新聞に続いて、毎日新聞の記事が目についたので、関連付けてクリップ。

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在日コリアンとして自分のルーツに触れた場所 「リバティおおさか」記者訪問記
毎日新聞 2020年6月24日 10時15分(最終更新 6月24日 10時15分)

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大阪人権博物館でガイドボランティア代表を務めた前田勝正さん=大阪市浪速区で2020年5月28日午後3時19分、韓光勲撮影

 大阪人権博物館(リバティおおさか)=大阪市浪速区浪速西3=が6月1日に休館した。記者(27)は大阪市出身で、博物館にほど近い場所で生まれ育った。幼少期から何度も訪れ、自身のルーツに触れた場所でもあった。5月28日、数年ぶりに訪れた。

 「部落問題コーナー」で一つの展示に目が留まった。江戸時代の長野県にあった墓石だ。刻まれた戒名の中に「革」の1字がある。埋葬者が皮革業を担ってきた被差別部落出身だったことを表す。この「差別戒名」の存在を知り「死後まで差別されるのか」と言葉を失った。

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大阪人権博物館の前に立つ館長の朝治武さん=大阪市浪速区で2020年5月28日午後5時45分、韓光勲撮影

 展示の幅は広い。他にも労働問題、LGBTなど性的少数者ハンセン病薬害エイズ在日コリアンアイヌ民族。それぞれの歴史的な経緯を解説する資料が並ぶ。1時間以上をかけて、じっくりと見て回った。

 ガイドボランティア代表の前田勝正さん(82)は「部落差別は過去の歴史ではない。今でも結婚差別などが続いている」と話す。前田さんは大阪府豊中市で半世紀以上、部落解放運動に携わった。同博物館のガイド歴も25年になる。それでも「今でも出身はなかなか明かせない」という。出自を明かした途端、相手の態度が変わる経験を数多くしてきたからだ。前田さんは「なぜ今でも差別が続くのか。(博物館は)歴史的な背景など、長いスパンで考えるための場所だったのに」と唇をかんだ。

「お前は韓国人だから」突然の仲間外れ

 思い当たる経験が私にもある。小学1年生の頃、近所に住む同い年の男の子と遊んでいた時、急に「お前は韓国人だから」と仲間に入れてもらえなかったことがある。それまでは普通に遊んでいて、自分は友達だと思っていたのに。驚いて言葉が出なかった。悔しかった。

 私はなぜ遊びに入れてもらえなかったのだろう。韓国人なのに、なぜ日本で生まれたのか。なぜ自分の名前はみんなと違うのか。幼い私には分からなかった。間もない頃、親に連れていかれた「リバティおおさか」で、一つの答えに接した。

 当時の展示に、韓国の家屋や食生活が再現されたコーナーがあり、太鼓や民族衣装が並んでいた。在日コリアンが日本に住むようになった歴史がパネルで説明されていた。「自分がここで生まれたのには理由があり、独特の文化がある」と初めて知った。遊びに入れてくれなかった男の子の言葉は、もう気にならなくなっていた。もし同じことを言われても、次はきちんと説明できるようになったから。

誰もが当事者

 前田さんの説明に聴き入っていた松浦慶太さん(35)=兵庫県尼崎市=は「差別戒名のことを初めて知りショックを受けた。歴史を学ぶことは大事だと改めて感じた。必ず再開してほしい」と話した。差別は、される側だけが論じる問題ではない。この社会に暮らす誰もが当事者だ。博物館は前身の資料館時代から35年間、そういうメッセージを発信し続けてきた。

 館長の朝治武さん(64)は言う。「35年間で170万人が来場した。少なくない数だ。人権侵害と差別の歴史、現実を考えるため、この博物館が果たしてきた役割は確実にあった」

 新型コロナウイルス感染拡大による休館で、最後の一般公開は1週間になったが、計4379人が訪れた。博物館側の予想の4倍超だった。休館を惜しむ人は多い。朝治さんは「2022年に別の場所で、必ず再出発したい」と語った。【韓光勲】

https://mainichi.jp/articles/20200624/k00/00m/040/034000c

ホントにねえ、今もなお、また今こそ、その存在が求められる時代だと思うんですけどねえ。

[특파원 칼럼] 불 꺼진 ‘리버티 오사카’와 조선인 추도식/김태균 도쿄 특파원
입력 : 2020-06-21 17:36 ㅣ 수정 : 2020-06-22 07:32폰트 확대 폰트 축소 프린트하기

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▲ 김태균 도쿄 특파원

‘2020년 5월 31일’은 일본 인권사에 또 하나의 커다란 오점이 남겨진 날로 기록될 것이다. 인권 수호의 상징적 보루로 자리매김해 온 오사카인권박물관이 이날 35년의 여정을 마감했다. ‘리버티 오사카’로 불린 이곳은 인권의 존엄한 가치를 일본 국민들에게 웅변해 온 이 나라에 단 하나뿐인 종합 인권박물관이었다.

리버티 오사카의 폐관은 끝없이 해코지를 반복해 온 일본의 극우 활동가들과 강력한 행정권력을 손에 넣은 극우 정치세력의 합작품이라고 할 수 있다. 리버티 오사카는 대대로 천대받아 온 최하층 계급 ‘부라쿠민’ 인권단체와 오사카부·오사카시가 오사카시 나니와구 7000㎡ 부지에 1985년 공동 설립했다. 박물관에는 부라쿠민을 비롯해 재일한국인, 한센병 환자, 각종 공해병 피해자 등 일본 사회에서 차별과 멸시를 받아 온 계층·집단에 관한 자료 3만여점이 전시됐다. 조선인들이 일제에 당했던 핍박과 고통도 다양한 전시물로 만들어져 관람객을 맞았다.

그러나 2008년 당시 39세의 극우 성향 변호사 하시모토 도루가 오사카부 지사에 당선되면서 고난이 시작됐다. 하시모토는 당선되자마자 “어린이에게 꿈과 희망을 주는 전시가 아니다”라며 관람내용의 수정을 요구했다. 박물관은 파국을 막기 위해 전시물 일부를 변경하는 굴욕까지 감수했지만, 철거를 목표로 한 그들의 공세는 거기에서 끝나지 않았다.

오사카시 시장으로 자리를 옮긴 하시모토는 2013년 전체 운영비의 80%를 차지하는 보조금 지급을 중단했다. 2014년에는 박물관 부지 무상대여를 중단하고 연 2700만엔씩 임대료를 내라고 압박했다. 2015년에는 임대료 미납을 이유로 퇴거를 요구하는 소송을 냈다.

5년간의 다툼 끝에 결국 박물관은 밀린 임대료 부담을 면제받는 대신 올해 5월 말로 박물관 운영을 종료하고 내년 6월까지 건물을 철거한다는 내용의 법원 화해권고를 받아들였다. 박물관 측은 2년 후 다른 곳으로의 이전 개관을 계획하고 있지만, 가능성은 차치하고 설령 실현된다 하더라도 리버티 오사카로서의 상징성은 결코 가질 수 없을 것이 분명하다.

극우 세력이 완벽한 승리를 거둔 리버티 오사카에 이어 도쿄에서도 비슷한 일이 벌어지려 하고 있다. 매년 9월 1일 도쿄도 스미다구 요코아미초공원에서 개최돼 온 1923년 간토대지진 조선인 학살 희생자 추도식이 올해부터는 아예 열리지도 못할 위기에 놓인 것이다. 고이케 유리코 도쿄도 지사가 추도식 행사 당일 바로 옆에서 맞불집회를 여는 극우단체와 충돌 가능성이 우려된다는 이유로 행사 자체를 무산시키려 하고 있기 때문이다. 1973년 추도식이 시작된 이후 근 50년 만에 처음 있는 일이다.

조선인 희생자 추도식에 관한 한 극우세력은 이미 한 차례 큰 성과를 거둔 상태다. 오사카 하시모토류의 성향인 고이케 지사는 6600명에 이르는 조선인 희생자가 발생했던 당시 만행을 부정하며 역대로 빠짐없이 해 왔던 도쿄도지사의 추도문 전달을 2017년부터 중단했다. 이후 3년 만에 나온 이번 압박은 추도식 자체를 없애기 위한 전체 과정의 마지막 단계인 셈이다.

코로나19 와중에도 일본에서는 인권을 부정했던 과거를 재차 부정하는 시도들이 계속되고 있다. 그 과정에서 필연적으로 나타나는 양심과 비양심, 이성과 비이성의 싸움에서 두드러지는 것은 반동의 진영에 선 세력의 연이은 승리다. 일본 근대 산업화 과정에서 자행됐던 조선인 강제징용 노동자들에 대한 폭력과 착취의 과거를 지운 채 오직 영광의 역사로만 포장한 ‘산업문화유산센터’라는 이름의 시설물이 지난 15일부터 도쿄 한복판에서 일반 국민에 공개된 것도 그런 범주로 해석할 수 있을 것이다.

2020-06-22 30면

https://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20200622030004

福岡空襲75年、アメリカ兵慰霊法要

そういう話があるのは聞いたことがありますが、具体的なエピソードとしてのこれは初めて知りました。

「業を背負う」という心持ちとはどういうものなのか、軽々しく知ったようなことは言えないです。

戦争の業、私も背負う B29搭乗員を処刑 元戦犯の息子ら福岡で法要
2020/6/21 6:00
西日本新聞 社会面 久 知邦

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ロバート・アスピナル曹長=深尾裕之さん提供

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油山観音の本堂脇にたたずむ4体の地蔵に手を合わせる冬至克也さん=20日午後2時半ごろ、福岡市城南区(撮影・宮下雅太郎)

「悲劇の記憶、平和への意欲に」

 1945年6月の福岡大空襲翌日に、陸軍西部軍司令部で処刑された米兵の慰霊法要が20日、福岡市城南区の油山観音で開かれた。処刑に関わり戦犯として裁かれた元陸軍大尉冬至堅太郎さん(83年死去)の三男克也さん(66)らが参加し、米兵遺族からはメッセージが寄せられた。敵味方に分かれ、命を奪い合わねばならなかった親たち。「平和な未来への礎に」。双方の遺族の思いが交錯した。

 市街地を見下ろす油山観音。住職による読経の後、敷地内にたたずむ4体の地蔵に克也さんはじっと手を合わせた。

 45年6月20日、西部軍司令部は軍律会議を経ず、米爆撃機B29の搭乗員8人を処刑した。前夜の福岡大空襲に関わった米兵ではなかったが、冬至さんは空襲で母を失った憤りから、志願して4人に軍刀を振り下ろした。戦後、自決を考えるも油山観音の当時の住職に諭されて思いとどまり、極東国際軍事裁判で死刑判決を受けた。

 50年に減刑され、56年に出所した冬至さんは自宅庭に4体の地蔵を置き、後に小さな地蔵を加えた。あやめた米兵の慰霊と、4人にいたかもしれない子どもの健やかな成長を願ってしつらえた、と取材に語る父の姿を克也さんは覚えている。4体は冬至さんの死後、油山観音に託された。

 克也さんは「父は謝罪や後悔ではなく、自分が奪った命を一生背負うという気持ちを地蔵に込めた。父の業を私も負っていると感じる」と話す。法要への参加も、元戦犯の息子であることを隠さないのも、そうした思いからという。

 法要は日本に墜落したB29を調査する大分県の深尾裕之さん(49)の呼び掛けで実現。処刑された8人の1人、ロバート・アスピナル曹長=当時(25)=の息子ラリーさん(76)が寄せた言葉も紹介された。

 快活で人懐こい性格のアスピナル曹長は、航空機整備士として訓練を受けてB29の搭乗員に。だが民間人を対象にした空襲への参加を好まなかった。そんな父の姿をつづった息子は、メッセージをこう結んだ。

 ≪戦争は善良な人々を敵味方に分けて恐ろしいことをさせる。だから過去のことに罪悪感を持つ必要はありません。戦争という悲劇の記憶を、平和という困難な仕事をする意欲に変えていきましょう≫

 多くの犠牲を強いた戦争。その記憶の風化を克也さんは危惧する。「何の恨みもない人たちが命を奪い合う戦争そのものが罪悪だ。過去の事実と向き合い、未来のための礎にしないといけない」 (久知邦)

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/618876/

【姫路の風景】秋の名古山墓地・その2:人間国宝、ここに眠る。

ずいぶん間が開いたその2ですが。

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動物慰霊碑のある場所から斎場の方に回ります。

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上の方は名古山墓地の外で、市営斎場は下の方です。

その市営斎場の脇に、姫路の偉人・桂米朝師匠のお墓があります。生で米朝師匠の落語を聴けたのは一度か二度しかなかった私ですが、ここまで来たからには、やはりお参りしておきたかったのです。

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ただ、目的地はここではありませんので、引き続き名古山墓地の中を歩いていきます。

2020/3/20 05:30神戸新聞NEXT
桂米朝さん没後5年 親族や一門で墓参り

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桂米朝さんの5度目の命日に合わせ、墓参りに参列した親族や一門の落語家ら=姫路市名古山町(米朝事務所提供)

 兵庫県姫路市出身で人間国宝の落語家、桂米朝さんの没後5年となった19日、名古山霊苑(同市名古山町)にある名誉市民墓に、親族や米朝一門の弟子ら約50人が墓参りした。命日にちなんだ「桂米朝5年祭」として企画した。

 米朝さんは人間国宝に認定された1996年に同市の名誉市民となり、2015年に89歳で亡くなった。名誉市民墓はその功績をたたえようと、翌年の2016年に完成した。

 この日は長男で落語家の桂米団治さん(61)や、桂ざこばさん(72)ら一門の弟子も駆けつけた。参列者は順番に玉串を奉納し、在りし日をしのんだ。

 参列した三男の中川渉さん(59)=尼崎市武庫之荘=は「久しぶりに勢ぞろいした一門の皆さんの姿に、父の背中の大きさと、5年の月日を実感した」と感慨を込めた。

 「5年祭」の一環で今週末に開催が予定されていた公演「米朝まつり」は、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため中止に。「興行界は冷え切っているが、きょうは春の陽気に恵まれた。米朝の『こんなことでへこたれるな』という声が聞こえた気がする」と米団治さん。20日から動画投稿サイト「ユーチューブ」の公式チャンネルで、一門の落語家が動画配信に取り組む考えを述べた。(井沢泰斗、地道優樹)

https://www.kobe-np.co.jp/news/himeji/202003/0013206317.shtml

静岡空襲75年の慰霊祭

静岡市そのものにはあまり縁がなくて、土地勘もないのですけど、賤機山というと、静岡駅から見て駿府城の向こう側ですね。

1945年の8月15日に向かうまでの数カ月の期間には日本各地が空襲に遭っていて、とてもすべての現地を見て回れてはいません。ただ、静岡は行こうとして行けない場所でもありません。いつか機会を作って、ここも見ておきたいと思います。

静岡空襲75年「歴史消さぬ」 日米慰霊祭、思いつなぐ
(2020/6/21 07:15)

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水筒に入ったバーボンウイスキーを慰霊碑にかける参列者=20日午後、静岡市葵区の賤機山

 太平洋戦争末期に米軍の爆撃により多数の死傷者を出した静岡空襲。75年が経過した20日、犠牲になった市民と墜落した米軍爆撃機B29の搭乗員を追悼する日米合同慰霊祭が静岡市葵区の賤機山で営まれた。新型コロナウイルス感染拡大の影響で例年は参加している米軍側の参加はかなわなかったが、関係者は「ともしびを絶やさないように」と平和への思いを新たにした。

 静岡空襲では2機のB29が爆撃中に空中衝突し、市内に墜落。搭乗員の米兵23人が犠牲となった。慰霊祭の会場の賤機山山頂には日米二つの慰霊碑が立つ。僧侶伊藤福松さん(故人)が建立し、敵味方の分け隔てなく死者を弔ってきた。

 伊藤さんの思いをくみ、長年にわたり慰霊祭を主催する医師菅野寛也さん(86)=同区=は空襲当時、小学6年生。やけどを負いながら火の海を逃げた記憶をたどり、「75年前の歴史を消してはいけない」と強調する。

 今年で48回を迎えた合同慰霊祭には、遺族や自衛隊関係者ら約30人が参列し、慰霊碑に静かに手を合わせた。米兵の遺品の焼け焦げた水筒でバーボンウイスキーを慰霊碑にかけたり、日本酒を供えたりして冥福を祈った。

 伊藤さんの孫の岩崎糸恵さん(71)=同区=も毎年、慰霊祭に出席している。「祖父の死後は菅野さんが引き継いでくれ、日米交流が続いている」と回想する。菅野さんはこの日のあいさつで、何度も感謝の言葉を口にした。コロナ禍での慰霊祭の継続に「当初は自分一人でと思っていたが、たくさんの人たちの後押しを受けた。次の世代につながなくては」と先を見据えた。

 <メモ>静岡空襲 1945年6月19日深夜から翌20日未明にかけて、120機を超えるB29が静岡市の市街地に焼夷(しょうい)弾を投下。約2千人の市民が死亡、家屋約2万千戸が焼失した。

https://www.at-s.com/news/article/topics/shizuoka/778221.html

東京大空襲・戦災資料センターのリニューアルオープン

気になっていた施設のリニューアル作業でしたが、ついに開館しましたか。これはまた機会を見つけて行かないと。

以前は手狭な中にぎっちり資料が詰め込まれていた感じで、展示の古めかしさは否めませんでした。どこまでどう変わっているのか。たいへん興味あります。

東京大空襲・戦災資料センターがリニューアルオープン
2020年6月20日 14時13分

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 太平洋戦争中の空襲の実相を若い世代にも分かりやすく伝えようと、「東京大空襲・戦災資料センター」(東京都江東区)が大幅に展示を刷新し二十日、再オープンした=写真。当初は四月四日の予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大で延期していた。

 吉田裕館長(65)は「オンラインでの企画を検討するなど新しい発信のチャンスにしていきたい」と語った。東京大空襲の被害に遭った作家の早乙女勝元名誉館長(88)も来館し「戦争を体験していない人にも伝わるよう、惨劇の様子が分かりやすく展示されている」とした。センターは、二〇一七年からリニューアルの準備を進め、今年三月二十三日から休館していた。再開後は開館時間を長くして午前十時半〜午後四時とする。休館は原則月曜日。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/36836/

現代っ子に「戦争」伝わる展示に 東京大空襲・戦災資料センター、若手研究者らでリニューアル
2020年5月8日 11時23分

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被災地図は2倍近い大きさになり、対象地区も広くなった=いずれも江東区

 軍国主義ってどういう意味?高射砲(こうしゃほう)って何?戦後75年の現代を生きる子どもたちが口にした素朴な疑問をヒントに、東京大空襲・戦災資料センター(江東区)が大規模なリニューアルを進めている。戦争の体験者が減っていく中、これからのセンターに求められる役割とは―。(文・加藤健太/写真・由木直子)

◆ピンとこない「学童疎開

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焼夷弾の重さを体感できる展示について話す石橋星志さん。筒は実際の重さと同じ2.7キロある

 開館から十五年以上がすぎ、展示内容を見直す時期を迎えていた。運営にかかわってきた三十~四十代の学芸員ら五人が中心となり、「活字離れが叫ばれる中、子どもたちに伝えるにはリアルな体験が欠かせない」と時代に合わせた展示内容を模索してきた。

 その象徴が、精巧に作り直した焼夷(しょうい)弾の模型だ。これまでも実際に投下された焼夷弾を置いていたが、ずっしりとした重さ約二・七キロの筒を新たに並べ、燃料が入った状態の重さを体感できるようにした。担当した石橋星志さん(37)は「こんなに重いものが空から降ってきたんだと、手に取ることで想像が深まるだろう」と狙いを語る。

 展示物に添える解説文も中学生が分かるように練り直した。当たり前のように使ってきた用語でも、今の子どもたちにはピンときていなかったからだ。学童疎開もその一つ。「学童疎開の狙いは~」と前置きなしで始まる解説文に、「学童疎開」の説明を書き加えた。

◆体験者の語りを形に

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空襲で亡くなった人の名前と写真の展示と担当した山本唯人さん

 リニューアルは、戦争体験者がいなくなる時代も見据えている。センターの主任研究員で法政大准教授の山本唯人さん(47)は「死体が折り重なる写真は悲惨さを伝えてきたが、これは火が収まった夜明けの記録。東京大空襲の瞬間をとらえた写真は少なく、三月十日の未明に人々がどう逃げ惑ったかを知るには体験談を聞くしかすべがない」と指摘する。

 センターでは体験者の証言を直接聞くことができるが、それがかなわなくなる時に備えて、証言集を壁一面に展示した。「二、三十メートルの火ばしらが立ち、それが一度に倒れてくる」などの生々しい言葉が悲惨な光景を想像させる。一九七三年刊行の「東京大空襲・戦災誌」に収録された約百三十人分の体験記を読めるようにし、そのうち空襲時十一~五十歳だった十九人分をパネルにした。

◆地元の子たちにも

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センターがある北砂地域の戦時中の様子を紹介するコーナー

 二〇一七年から四年がかりで進めてきたリニューアル事業は大詰めを迎えている。約四百点あった展示物を半分近くまで減らす一方、QRコードを読み込むことで、展示物のより詳しい情報をスマートフォンで読めるようにした。東京大空襲の被災状況を示す地図は縦二・二メートル、横三・四メートルと以前の倍近くの大きさになり、東は瑞江(江戸川区)、西は青山(港区)の仮埋葬地も含まれるまで対象エリアが広がった。

 入館者数は一四年度の一万四千八百三十八人をピークに、一八年度は九千九百三十三人まで減っている。中学生が最も多いが、実態は他県から来る修学旅行生が大半。そこで、センターがある江東区北砂周辺の街並みを紹介する「砂町の暮らし」のコーナーを新設した。学芸員の比江島大和さん(37)は「地元の子どもたちにも東京の過去に目を向けてほしい」と話した。

 吉田裕館長(65)は若手がリニューアルを主導したことに「彼らは両親や教師が戦争を経験していない世代。体験を継承する意味では意義深い」と語った。

 再オープンは四月四日を予定していたが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて延期された。再開時期の見通しは立っていない。

東京大空襲・戦災資料センター>10万人が亡くなったとされる1945年3月10日の東京大空襲を伝えていこうと2002年にオープンした。開館時に続き、今回のリニューアルでも区民らから多くの寄付が寄せられた。初代館長は作家の早乙女勝元さん。昨年6月に歴史学者で一橋大名誉教授の吉田裕さんが館長に就任した。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/16905