【水戸の風景】堀町公園墓地内、水戸陸軍墓地

初めて水戸にやって来ました。いろいろ見どころはありますが、まずは堀町公園墓地へ。

水戸駅から6キロほど離れていますので、ここは大人しくバスで。茨城大学方面行きのバスに乗り、茨城高校入口や茨城大学前を過ぎて、最寄りは「渡里二区」やったはず。バス通りからは少々住宅地に入り込みます。

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こちらですね。ここはもともと全体が陸軍墓地だったようですが、一般墓地に転用されています。その際、軍人墓の遺骨は掘り返されて整理され、納骨堂に納骨されることになったと言います。現在はそれも移転し、当地に遺骨はありません。

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ここには、敷地の片隅に墓石のみが集められて残されています。

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たいへん綺麗に、秩序ある並びをしていますが、これが元々の状態であるとはちょっと考えにくいです。いくら何でも詰め込まれ過ぎです。墓地整理の際に並べ直されたものと考えるのが自然でしょう。

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そしてこの一角には、「石上中尉記念碑」も立っています。碑の裏に刻まれた文章が太陽の加減で読みにくかったのですが、どうやらおおむね下記のサイトのある通りのようです。

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大正13年、教官としての指導中に、部下の地雷操作を間違って死亡させたことから、翌年の除隊の際、切腹自殺をしたということを伝える碑です。

なお、この墓地の変遷については、『茨城県終戦処理史』(1972)に記述があるようです(未見)。

crd.ndl.go.jp
iss.ndl.go.jp

といったあたりまでを確認したところで、移動することにします。

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【富山の風景】長岡墓地内、富山陸軍墓地・その2:富山陸軍墓地の周辺

こちらの続きですが、陸軍墓地については前回の記事に書き込んでしまったので、その周辺の情報などを。

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実際のその場に立ってみればわかりますけど、陸軍墓地はここ、長岡墓地のごくごく一部を占めているだけで、全体はかなり広いです。

しかも、単に広いだけではなく、旧富山藩主前田家の長岡御廟やその周辺の真国寺墓地と市営墓地・納骨堂が接するように展開していて、時代や形式の面で多種多様なお墓を見ることができます。

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こちらは「新」とついている通り、最近できたもので、規格化されたモダンな墓地の区画です。

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公設の納骨堂もあります。韓国の仁川家族公園の満月堂を縮小したような形をしています。内部も見せてもらいましたが、日本だとやっぱりこういう仏壇型になるんですね。
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基本的には、南側の道路に面したほう(陸軍墓地を含む)が古く、奥手や周辺部に新しい墓域がある、というのがおおむねの位置関係です。

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手前側には、第2次世界大戦以前の墓碑が多いだけでなく、空襲犠牲者や無縁仏をまとめた合葬墓などもあります。

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www.city.toyama.toyama.jp
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ところで、真国寺墓地の中でも市営共同墓地の側でもあちこちで目にするのが、軍人のお墓。それ自体はどこでも見られて、さして珍しいわけではありません。

しかし、そうしたお墓が、妙に立派過ぎる気がするのですが、私の気のせいですか?「いくら勲功があるとは言え、兵卒や下士官クラスまでそんな墓建てる?」と思わなくもないのですが…。

尉官クラス以上のお墓もあるにはあるんですけど、目につくのは圧倒的に下士官以下の人々のもの。阿部信行・林銑十郎といった陸軍大将・首相まで務めた大物が墓碑の字を書いているものも見られます*1

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同時代であれば、こうした個人墓はそれとして、軍=国家が管轄する軍人墓地に葬られることにも意義があったと思います。ただ、今となってみては、捨て置かれて顧みられることの少ない軍人墓地に比べて、一般墓地の軍人墓は比較的良好に保たれているように感じられます(富山だけではなく、わりと各地で)。

皮肉と言えば皮肉な話です。一面では「国立の墓地だからと言って、永久に保持されるわけではない」ということですし、他方で「誰が残された墓地を維持するのか」という問題でもあります。

では、富山編はサクッと短くこのへんで。次は…水戸だったかな。

*1:両者は金沢出身なので地元枠だと思われますが、井上清純(薩摩)の名前も見ました。

【富山の風景】長岡墓地内、富山陸軍墓地・その1:富山陸軍墓地

こちらの続き。富山県護国神社から富山陸軍墓地へと移動します。

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…というのは簡単ですが、交通の便がなかなかよろしくない場所で。

近くまで行けるバスなどを検索していたのですが、カリカットでカレー食ってる間に時間を逃したり、なんだかんだでけっきょく富山大学前から往復歩いていくことにしました(大学前までは路面電車で行けます)。まあこういう道のりを歩くのはいつものことですし、嫌いではありません。

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で、富山の陸軍墓地ですが、お寺さんの墓地や市民墓地を併せた広大な墓地の一角にあります。ここが墓地であることについては、旧富山藩前田家の廟所に由来する歴史があるそうです。

www.enryo.jp

富山大学方面から歩いていくと、道路沿いにまずこちらが目につきますが、これは陸軍墓地ではありません。私人の寄進によって築かれた共同墓地です。

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もう少し歩いていくと、陸軍墓地の入り口が見えてきます。

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この石板にも説明がある通り、ここにあるのは忠霊塔(1941年建設)と、その左右に合わせて3基の合葬碑です。

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参道の正面に忠霊塔。「支那事変戦没者忠霊塔」という文字は、裏側に刻まれています。

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向かって右手には、銀杏の木陰に上海事変の陣没者合葬碑(1932年)、その碑と忠霊塔との間に満洲事変の合葬碑(1937年)が立っています。

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で、反対側には陣没者・病死者のための合祀碑(1933年)。先に見た碑とは「葬る」か「祀る」かという違いがありますね。また、1925年の「転営」とあるのは、このとき歩兵第35連隊が金沢から富山に移ったことを指しています。富山転営後の歩兵第35連隊の戦歴は旧満州や上海など中国大陸が主だったので、この墓地もこのような構成になっているのでしょう。1925年に廃止された旧第69連隊の時代に関連する遺構はなく、そのあたりの経緯の手がかりになりそうなものも見当たりません。

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この地の墓地が近代以前からの由来を持っている中で、陸軍墓地も明治のころからあったはずなのですが、現在の姿は昭和期以降のものであるようです。非常に秩序だった敷地のあり方や整地の状況からして、聯隊転営後の昭和初期の段階でそこそこ大規模な再整備工事がされているような気がします*1

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建碑の年代から推測すると、第一次上海事変(1932年2月)出征→帰還(5月)後、合葬碑建立(12月)→その後、墓地整理(1933年3月)、金沢陸軍墓地にあった日清日露戦争の戦死者の分骨を合祀碑に合祀(9月)→追って満洲事変の合葬碑を建立(1937年5月)→日中戦争の全面化を受けて忠霊塔建立(1941年10月)、という流れになりますかね。ここで気になるのはやはり、明治・大正期の陸軍墓地の埋葬者の行方です。合祀碑に併せて合祀していたとすればスッキリするのですが、そのような記述は説明板にはありません。かと言って、廃止された部隊の戦死者に他に行く場所があるかというとそれも疑問です。

この件は、今後の課題ということにしておきます。

追記:なお先達の訪問記はこちらです。

kanreport.blog58.fc2.com
nippon-gokoku.sakura.ne.jp
yumisogun.blog.fc2.com

*1:今は全く見当たりませんが、それ以前には個人墓があってもおかしくありません。

【鹿児島の食事】考察の結論

美味いカレー食わせてとりあえずイルカ見せとけば満足するようなヤツが飲みにいくのは十年早い。


tabelog.com




ioworld.jp

十年前も状況は変わらなかったので、十年後にもこの件、おそらく自動更新されるでしょう。

【都城の食事】【鹿児島の食事】「食べて、飲む」分には問題ない。

さらに考察。

「食べに行って、ついでに飲む」分には特に問題ない。「初めから飲みにいく」状況が、どうやらダメらしい。


tabelog.com


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ま、けっきょくのところ、これ以上ないくらいに「ほなそんでええやないか」という案件。

【宮崎の食事】【都城の食事】一人飲みは難しい。

「何が違うねん」と言われてもよくわからん。とにかく何となくぎこちない。


tabelog.com


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たぶん、外飲み自体がそもそもあまり好きではないのだろう。

長崎・稲佐山ロープウェー延伸構想

なるほどねえ。確かに麓駅に行くのにひと手間かかるのは事実で、浦上川を越えて新スタジアムに接続できればめっちゃ利用しやすくなります。

間違いなく魅力的な構想ですが、技術面でも工費の面でも課題は多そうです。でもでもでも、仮に実現したら、利用客は増えるやろし、きっと楽しいやろなあ…。

稲佐山ロープウエー延伸か ジャパネット構想、長崎市調査 課題は工費
2020/2/20 16:00 (2020/2/20 16:15 更新)
西日本新聞 夕刊 徳増 瑛子

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稲佐山(左上)から市街地まで延伸する構想が浮上しているロープウエー

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稲佐山ロープウエーの延伸、移転案

 長崎市の観光名所、稲佐山の山頂と麓の駅を結ぶロープウエーを巡り、市街地まで延伸させる構想が浮上している。通販大手ジャパネットホールディングス(HD、長崎県佐世保市)が地域振興の一環として掲げ、所有する長崎市も麓の駅が使いづらいとの理由で移転を視野に調査を進めているためだ。ただ費用は誰が負担するのかなど課題があり、実現するかは見通せない。

 現行のロープウエーは、高低差が298メートルある両駅間の山肌に沿う形で1090メートルの距離を結ぶ。市街地の景色や美しい夜景を見物するため山頂を訪れる観光客の移動手段となっている。民間企業が所有したが1998年、市に無償譲渡され、現在は指定管理者に運行業務を委託している。

 同HDは2018年2月、同市幸町の三菱重工業工場跡地に新サッカースタジアムの建設を検討していることを明らかにした。その際、市が業務委託する稲佐山のロープウエーにも言及し、麓の駅を越え、新スタジアムまで延ばす構想を明らかにしたのが発端だ。

 市もその後、乗り場である麓の駅の駐車場が繁忙期は満車になるなどの課題もあることを理由に、駅の位置をずらすことができるかどうか調査を始めた。(1)現行のロープウエーをスタジアム予定地、もしくは手前の三菱球場まで延伸する(2)南側に移転する-という二つの方向性を視野に、3月末まで調査し、工費がどれだけかかるかなど実現の可能性を探るという。

 ただ仮に「実現可能」との調査結果が出ても、市とHD側のどちらが工費を出すのかという課題が残る。ロープウエーの施設は市が所有するが、それを一民間業者であるHD側が建設するスタジアムまで延伸することになるならば、市だけが負担することに異論が出るのは避けられない。

 またスタジアムまで延伸すれば、その間にある県道の高架(地上約16メートル)よりも高い空間にロープウエーを通す必要があり、技術的に難しいとの指摘もある。市担当者は「調査結果が出るまで分からない。現段階で実現するかどうか何とも言いようがない」と話す。 (徳増瑛子)

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/585731/

陸前高田市の東日本大震災犠牲者刻銘板の記載内容をめぐるやりとりについて

こういうニュースを目にしました。

殉職と銘板に明記を 震災で犠牲の陸前高田市職員遺族が市に要望

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市に要望書を提出する職員遺族(右の2人)

 岩手県陸前高田市が2020年度に整備する東日本大震災の犠牲者刻銘板を巡り、職員の遺族有志が18日、何らかの形で殉職であったことを明記するよう市に要望した。遺族2人が16人分の署名を添えて提出。「殉職職員が100人を超えた教訓を後世に伝え、二度とこのようなことにならないため」と訴えた。

 これに対して市被災者支援室は「亡くなった人を同じように刻銘する。市職員だけを特別には取り扱えない」と応じた。

 刻銘板の在り方について戸羽太市長は17日の定例記者会見で「(犠牲者には)家族や知人、近所の人を助けようとした人もいたと思う。線引きは難しい」と説明した。

 その上で、職員遺族が独自に刻銘板などを整備する場合は、市が協力することも考えられるとの認識を示した。

 市の震災検証報告書によると、嘱託や臨時も含めて当時の在籍職員443人のうち111人が犠牲になった。

 報告書は職員多数が犠牲になった要因について「自らの身の安全を顧みず、市民の避難誘導などを優先し、さらなる災害対応業務に備えて職場付近での待機を続けた結果、逃げ遅れが生じたことが考えられる」と指摘している。

2020年02月19日水曜日

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/202002/20200219_31004.html

私の知っている事例の中で、イメージ的に近くて参考になると思われるのは、「釜山警察追慕空間」の刻銘板でしょうか。

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わずか数文字の違いですが、遺族がその文字に込めようとする心情は、軽いものではありません。

ただそれは、釜山の場合、遺族だけでなく、警察という組織の同調と行政の後押し、そしてそれを是認する世論があって実現したものであることもまた事実です。その事例に学ぶとすれば、この遺族有志の訴えに市役所や市議会内で同調する人が増え、世論もそれを支持するようになれば、現在の流れが変わることもあろうかと思います。

他方で、遺族が独自に刻銘板を整備するのであれば市が協力することもあり得る、という意向も示されているので、こちらの線で遺族も納得し、各方面が合意できる形が作れれば、それで収まる可能性もあります。

「問題提起と議論と合意形成を通じてあるべき姿を模索する」ことが求められるこの案件は、初めから正解があるわけではなく、その意味で極めて政治的な問題だと言えるでしょう。

保育施設の「認可外」呼称を改める姫路市の取り組み

これはよい取り組みです。

「国の基準を満たさない=認可外」という厚生労働省発信の呼称には、それが出た当初から違和感をずっと感じていました。違法行為をしているわけではなく、保育の現場で必要不可欠な役割を担っている施設に貼られるレッテルにしては、否定的なニュアンスが強すぎないか、と。

そこに、より実態に即した呼称を付す試みなわけです。この姫路市の取り組みが、他市他地域にも広がっていくことを希望します。

「認可外」やめ「届出」に 姫路市が保育施設の新呼称
2020.2.18 21:00 産経WEST

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姫路市が独自に制定した適合証明

 兵庫県姫路市は、「認可外」としている保育施設の呼称について、4月から「届出(とどけで)保育施設」と改める。このうち国の指導監督基準をクリアした施設に対しては、市独自に設けた適合証明を交付することにした。

 呼称の変更については、「認可外」という言葉に冷たい響きがあり、「法令違反」などの悪印象を与えかねないとして、イメージを一新したいという狙いがある。市によると、認可外の呼称を変えるのは関西圏の自治体で初めて。適合証明を市独自で交付するのは全国初という。

 「認可外」は厚生労働省通知に基づく呼称で、規模や職員数などで国の基準を満たさず、行政の認可などを受けていない保育施設を指す。一方で独自の保育方針や特徴などを持ち、多様な保育ニーズに応える役割も果たしている。

 こうした施設は、認可は受けないものの行政への届け出義務があるため、同市は「届出保育施設」と呼ぶことにした。市が昨秋、施設に実施した調査でも、回答した7割が呼称の変更を要望していた。

 一方、認可外でも国が定めた指導監督基準を満たす施設とそうでない施設があることから、市は両者を区別するため、基準をクリアした施設を「適合届出保育施設」とした。さらに、その施設が質の高い保育サービスを提供していることを示すオリジナルの適合証明を作成。消防が宿泊施設に交付する「適マーク」のように入り口などに掲示してもらう考えだ。

 市は「認可外でも素晴らしい保育を実践している施設は少なくない。基準を満たしていないところは、適合届出保育施設となることを目指してほしい」と期待している。

https://www.sankei.com/west/news/200218/wst2002180031-n1.html