立浪和義引退

野球選手としてのセンスの塊のような立浪選手。PL学園春夏連覇時の主将として、高卒での新人王は伊達ではありません。
その当時から走攻守が揃った、好きな選手でした。
有り難うございました。そしてお疲れさまでした。

さらばミスタードラゴンズ 立浪、引退セレモニー
2009年10月1日 09時14分

 昨年のオフに今季限りでの現役引退を表明していた中日の立浪和義選手(40)が30日、正式に引退することを明かし、ナゴヤドームでのシーズン最終戦となった巨人戦後に引退セレモニーが行われた。

 入場者数は今季最多の3万8280人。試合が終わっても左翼席の巨人ファンを含めてほとんどの観客は帰らずに、立浪選手を見守った。「打って、守って、走るのが野球。打つことだけしかできなくなり、ユニホームを脱ぐ決意をした」とあいさつ。「ドラゴンズに入って、最高のチームメート、ファンに恵まれ、22年間野球ができた。心おきなくバットを置くことができる」とファンに感謝した。

 2006年シーズン途中で代打専門になって以来、先発で守備に就くことはなかったが、この日の試合では「6番・一塁手」で先発出場し、4打数3安打と活躍。ファンに勇姿を披露した。

 1987年ドラフトの1位で入団して以来、ドラゴンズ一筋で22年間プレーし、一時代を築いた。引退後の進路はまだ、決まっていない。シーズン終了後のクライマックスシリーズでは、代打の切り札としてチームとともに戦う。

◆記録、記憶に残るスター

 九回に放った二塁打は、中堅右への当たり。「最後の打席だと思ったので思い切っていったら、たまたまツーベースになった。ツーベースに縁があったんだなと思った」。立浪は最後までスター選手を演じきった。

 「体が小さいので、負けるもんか、という気持ちだけで、やってきた」。そんな思いを支えに、ずっと王道を歩いてきた。新人で出場した開幕戦で初安打。ナゴヤドーム開場でも第1号本塁打。2003年には通算2000安打を達成。あと3本で試合が始まり、足踏みすることなく打ってしまった。どんな相手よりも引き立つ巨人戦。自分を演出できる天性の才に納得させられた。

 レギュラーとして毎試合出場し続ける生活が一変したのは、06年のシーズン中。4打席で勝負する立場から、1打席にかける代打に役割が変わった。主役の座から転げ落ちた。

 「ずっとレギュラーで試合に出られなくなったら、終わりだと思っていた。試合に出られないことが悔しくて、気持ちの切り替えがなかなかできなかった」。その戸惑いを、こう表現した。「最初のころ、代打で打席に立ってすごい声援をもらったけれど、どうしてこんなに応援してもらえるのか、自分には分からなかった」

 脇役になっても、ファンは立浪を求めていた。プロ野球人生の終盤にさしかかり、今までに経験のない大きな壁が立ちはだかった。「早く球場に出てきて、控え選手とも一緒に練習した。経験してみないと分からなかった。ファンの声援が支えになって、もう一回頑張らないといけないと思った」。代打でも超一流にのし上がった。

 目の前の戦いに向かう集中力は、勝負の輪の外にいる人間を決して寄せ付けなかった。代打の切り札で約3年半。コーチ兼任で2年。「レギュラーのときはいつも、一年一年頑張りますとだけ言っていたけれど、もう立場が違う」。以前のような張り詰めた気配が、少し薄れた。

 気持ちに踏ん切りをつけても、代打で3割という高い打率をマークできるところが、立浪らしさ。ドラゴンズ70年余の歴史の中で、記録にも記憶にも残る主役が去るのは、とてもさびしい。

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2009100190091430.html