「非正規雇用時代の生存可能性」

…という題名の文章をクリップしてみましたが、実は私自身、どう応答していいものか、よくわかりません。

他人事ではありませんし、ここまでどうにか来れたことへの感謝も持っています。

ただ私には事実として、ここから今後も生き延びていけるという自信はありません。

「私のような者でも生き延びていける」という形で、世の中の「生き延びていける」レベルをわずかながらでも引き下げたいという希望を、持ってはいます。ただ、生き延びていけなかったとしても、そうしたレベルの変動は誤差の範囲に収まってしまうほどの微差かも知れない、とも思っています。

じつのところ、学生さんたちにはほとんど知られていないのだろうけれど、大学という場自体、非正規雇用労働者や派遣労働者がないと、成り立たない場でもある。これはどこの大学でも同じ。職員にしても、教員にしても。大学は、働いても日常生活の経費をまかないきることのできない「ワーキング・プア」の宝庫だ。良いとか悪いとかいう問題である以前に、それが大学という場の現実、だ。

たとえば、非常勤講師組合のデータによると、専任教員とパート教員のあいだには、経済的に七〜一〇倍の格差があるという。それにプラスして、パート教員の場合は、研究室がない、移動が多い、などの負担もある。とすれば、格差は数字には表われないところにも存在する、ということになる。

 それでも、生き延びているのだ、ということ。改めていうことでもないが、なにも大学にケチをつけたいのではなくて、わたしは非正規雇用のなかで、生き延びている、ということを、学生たちに伝えていく必要があるのではないかと思っている。正規雇用という資源だけではなく、非正規雇用労働や派遣労働をしながら、支えあっている人たちだって、たくさんいるんだよ、ということを。それは正規労働にありつけることを“あきらめろ”ということではない。むしろ逆で、もし、万が一、正規雇用にありつけなかったとしても、人生はそれで終わるわけではない、ということだ。もしかして、それは正規雇用の職に就いている人たちにはない視点なのかもしれない。であれば、非正規雇用のなかで生きているからこそ、伝えていけるメッセージがあるのではないか。何とかして、生き延びようよ、という、それこそ実体験に基づいた生存可能性を模索しつづけるメッセージ、を。

http://d.hatena.ne.jp/Yu-u/20110519

大学非常勤講師の処遇「改善」?