震災被災地の葬墓の現状

震災当初、あまりの惨状に言葉も出なかったのですが、まだまだ区切りがつけられない現状が伝えられています。

近づくお盆、納骨に壁…供養したいが墓も被災


地震津波で倒れた墓石を修復する作業員たち(5日、宮城県石巻市で)=中村光一撮影

 発生から4か月となった東日本大震災被災地で、肉親の遺骨を墓に納められない被災者が苦悩している。

 津波で墓地が流されたり、東京電力福島第一原子力発電所近くの立ち入り禁止区域に墓地があるためだ。宮城県内では、お盆を前にして土葬した遺体の火葬が急ピッチで進んでおり、納骨できない遺族を支援しようと、墓石修復や遺骨を無償で預かる動きも出始めている。

 住民の4割が死亡・行方不明になった宮城県石巻市釜谷地区。中学校用務員の菊地裕明さん(50)は、妻(41)と高校生から幼稚園の子ども3人を亡くした。同居していた母(75)も行方不明だ。先祖代々の墓地は寺と共に津波に流され、元に戻るメドもたたない。4人の遺骨は、職場から22キロ離れた同じ宗派の別の寺に預け、仕事帰りに毎日足を運ぶ。「まだ安らかに眠らせてあげることもできない。私にできるのは、毎日線香をあげることだけ」と話す。

 被災地では、多くの墓石が津波で流されたが、被害の全容は市町村もほとんど把握していない。宮城県内では、6市町で約2100体の遺体が土葬されたが、お盆前にきちんと葬りたいという遺族が多く、火葬が急ピッチで進んでいる。すでに6割近くが火葬されたが、火葬後に納骨できないケースもあり、石巻市の担当者は「仮安置したいとの相談も来ている。受け皿を考える必要があるかもしれない」と話す。

 墓地の修復を担うのは石材業者だが、石巻市の石材店主、菅松敏行さん(45)は「これだけの数の墓石を戻すにはマンパワーが必要。被災地だけの力では限界がある」と語る。

 窮状を見かねて、全国約300店の石材店が加盟する「全国優良石材店の会」は、石材業者を6月から被災地に派遣し始めた。約500基の墓石が流された石巻市の普誓寺(ふせいじ)では今月、派遣された業者が墓石を手作業で洗い、クレーンで積み直した。約8割が修復され、住職の鈴木聡昭(そうしょう)さん(66)も「これでお盆までに檀家(だんか)さんの遺骨をお墓に納められる」と期待を込める。ただ、同会の県内の加盟店には約5000基以上の修復の依頼があり、まだ手つかずの所も多いという。

(2011年7月12日03時13分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110712-OYT1T00150.htm

八尾・おくりびと隊 大混乱の中 納棺黙々と


おくりびと隊」として被災地で納棺を手伝った松村康隆さん(八尾市の中河内葬祭で)

 東日本大震災の発生直後、八尾市の葬儀会社が、犠牲者の納棺を手伝う「おくりびと隊」を結成し、被災地で300体以上の遺体を棺(ひつぎ)に収めた。混乱の中、「亡くなった方々のことを、生きていく人の心に刻んでもらえるように」と、遺体の髪を整え、死に化粧を施す「使命」に没頭。震災から4か月が過ぎた今、ようやく行われるようになった葬儀や慰霊祭の後方支援に努める。

 おくりびと隊として被災地に出向いたのは、葬儀会社「中河内葬祭」社長の松村康隆さん(46)とベテラン社員ら計7人。棺や骨つぼ、ドライアイスのほか、食糧などをトラックや保冷車計3台に積み込み、3月18日に出発。翌19日に宮城県最大の遺体安置所となった県総合運動公園「グランディ21」の体育館に到着した。

 検視を終えた無数の遺体がそのまま横たえられていた。早速、棺に入れる作業に取りかかったが、遺体は次々と運ばれてくる。松村さんらは、「ご遺族が見つけられた時にきちんとお別れできる姿にしよう」と、着せる時間がない衣装を遺体の上に丁寧にかけ、顔が正面を向くように納めた。

 松村さんらは、1995年の阪神大震災でも神戸市長田区の遺体安置所で3日間、納棺を手伝った経験がある。「あの時もつらかったが、今回は規模が違った」と松村さんは振り返る。

 隊員らは、子供からお年寄りまで様々な遺体に向き合い続け、止まらない悲しみに襲われ、言葉をなくした。松村さんは「私も、赤ちゃんを抱いたまま亡くなった母親の姿に、子を思う親の気持ちの強さを感じ、心を打たれた。でも、我々が感情を出せば、ご遺族の心を乱すだけ。人を弔うプロとして、黒子に徹した」と語る。

 おくりびと隊は、大阪からは唯一の納棺応援として、3月下旬まで繰り返し被災地入りし、納棺のほか、棺を1000以上組み立てたり、棺を遠方の遺体安置所に運んだりもした。4月以降は業界団体が本格的な支援を始めたため、撤収した。その後は、被災地の葬儀会社の相談に応じるなど現地との関係を維持し、いつでも支援できる態勢をとっているという。

 被災地では、5〜6月頃から葬儀や慰霊祭が少しずつ行われるようになってきたといい、松村さんは、「まだ行方不明の人もいて、犠牲者とどうお別れするかは、被災地ではしばらく課題になると思う。今後もできる限りの支援をしていきたい」と話している。

(2011年7月15日 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20110715-OYT8T00060.htm