うんざりする日韓関係と反知性主義

同じ日にこのような記事が並んでいるのは、もちろん意図があってのことでしょう。どちらもいい記事です。

記者の目:改善遠い日韓関係=澤田克己(ソウル支局)
毎日新聞 2014年03月05日 東京朝刊


韓国の独立運動記念日である1日、ソウルの在韓日本大使館前では数人から数十人規模の反日集会が何回か開かれた=澤田克己撮影

 ◇「第三者」の視点が有用

 韓国で取材していて、「うんざりだ」と思うことが多くなった。何でもかんでも「日本の右傾化」と決めつけ、責任を全て日本に押し付ける韓国政府やメディア。韓国だけでなく米国をはじめとする国際社会の懸念まで無視したいのではないかという疑念を抱かせる安倍晋三首相と周辺の言動。日韓関係の悪化は構造的な問題を抱えているから、どちらにしろ近い将来の改善は望めないが、それにしても現状はひどすぎる。どちらも冷静になり、自分たちの姿が、国際社会という「第三者」からどう見えるか考えてみてもいいのではないだろうか。

 まず韓国側の例を挙げよう。島根県で「竹島の日」式典が開かれた先月22日、「日本の独島(竹島の韓国名)挑発と日本軍慰安婦問題での責任回避の根は一つだ」と題した韓国外務省の抗議声明を読んだ私は、あぜんとした。激しい日本批判の内容以上に、自らの思いだけを「これでもか」という勢いで連ねる感情的な文章だったからだ。

 日韓両国を知る米国の外交官に感想を聞くと、英訳を読み終えて「すごいね」という言葉が返ってきた。欧州の外交官からは「慰安婦問題の宣伝を外国でまでやらなくてもいいのに」という韓国への苦言も聞く。

 ◇「正しさ」前面に 行き過ぎた反日

 ただ、私の同僚である大貫智子記者が昨年12月10日の本欄に書いたように、街中で日本への悪意を感じることはない。この点では、「嫌韓」という言葉が乱舞する日本より健全だ。それを肌で知っている私ではあるけれど、それでも、こんな声明を読まされたら不快にしか思わない。

 私は先月、大貫記者と共に「『正しさ』とは何か 韓国社会の法意識」という連載記事を国際面に書いた。私たちが韓国に抱く不快感の根源が「法に対する意識」の違いにあると考え、なぜなのかを探りたかったからだ。

 分かったのは、道徳を重視する儒教の影響が強い韓国社会では、「正しさ」を武器に他者との関係で優位に立とうとする傾向が強いこと。1987年の民主化以降、伝統への回帰が進み、過去までを「正そう」とするナショナリズムが強くなった。同時に、冷戦終結に伴う国際環境の変化などによって、安全保障と経済の両面で韓国での日本の存在感は低下した。日本との関係維持は、韓国の生存にとって不可欠なものと認識されなくなったのだ。

 そのために、行き過ぎた反日へのブレーキがなくなり、「反日の暴走」が起きやすくなった。盧武鉉ノムヒョン)政権(2003〜08年)がそうだったし、今も基本的に同じだ。

 ◇日本側にも問題、対策乏しい現実

 ただし、「暴走」をあおる日本側にも問題はある。代表的なのが、慰安婦問題で旧日本軍の関与を認め、謝罪した「河野談話」への対応だ。安倍首相や周辺の言動からは、談話への不快感が見え隠れする。それが、韓国を刺激し、国際社会から疑念を呼んでいることは、どちらも否定しがたいことだ。

 河野談話は、日本政府のスポークスマンである官房長官が国際社会を念頭に置いて発表したものだ。それを守ろうとしないならば、植民地支配の清算に合意した日韓基本条約など過去の国際的な約束より現在の「正しさ」を押し通そうとする韓国の一部勢力と何が違うのか。前述の米外交官は、人道的観点から慰安婦問題に対処するという日本の姿勢を評価しつつ、河野談話への対応については「安倍さんは自分で自分を窮地に追い込んでいる」と評した。

 日韓関係悪化の主因は、バブル崩壊後に自信を失った日本が内向きになったことと、日本に対する韓国社会の意識変化にある。どちらも構造的な変化だから、日韓関係が再び安定を取り戻すには時間がかかる。現時点では、お互いに「熱く」なりすぎないように状況管理することを目標にすべきだろう。

 韓国のナショナリズムに詳しい木村幹・神戸大教授は、日韓両国に第三国を加えた研究者によって歴史認識問題などを検証しようと提唱している。日韓両政府は従来、関係悪化の打開策として両国の研究者による共同研究を行ってきたが、それは結局、自国の立場を代弁し合うだけの場になりがちだった。「第三者の目」を入れることで、こうした弊害は改善を期待できる。

 韓国の研究者からも「日韓とも、国際社会からどう見られるかという意識がなさすぎる」という声を聞くことがある。

 「第三者」の視点を考えることは有用だ。残念ながら、現実的なアイデアはその程度しかないのである。

http://mainichi.jp/shimen/news/20140305ddm005070055000c.html

Listening:<保守と歴史認識国益守る計算高さを 内田樹神戸女学院大学名誉教授
2014年03月05日

 −−中国、韓国との関係改善が進まず、米国も懸念しています。

 ◆長い歴史がある隣国であり、これからも100年、200年にわたってつきあっていかなければならないという発想が欠けている。安倍政権は外交を市場における競合他社とのシェア争いと同じように考えているのではないか。中国や韓国との領土の取り合いと経済競争におけるシェアの取り合いは次元の違う話だということを理解できていないように見える。

 昨年12月の靖国神社の参拝も、米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)移転先の名護市辺野古の埋め立てについて沖縄県知事との話し合いがついた直後に行われた。米国に貸しを作ったので、今度は米国が嫌がることもできる権利が発生したと考えたのだろう。米国を市場における取引相手のように見る、その実のなさが米国を不安にさせ、いら立たせている。

 −−なぜ短期的な発想になるのですか。

 ◆民主制は政策決定にむやみに時間がかかる。時間がかかるかわりに集団全員が決定したことの責任を引き受けなければならない。政策決定が失敗した場合でも、誰かに責任を押しつけることができない。それが民主制の唯一の利点だということを首相はたぶん理解していない。

 そのような政権運営を可能にしているのは国民的規模での反知性主義の広がりだ。教養とは一言で言えば、他者の内側に入り込み、他者として考え、感じ、生きる経験を積むことだ。死者や異邦人や未来の人間たち、自分とは世界観も価値観も生活のしかたも違う他者の内側に入り込んで、そこから世界を眺め、世界を生きる想像力こそが教養の本質だ。そのような能力を評価する文化が今の日本社会にはなくなっている。

 −−ただ、中国も韓国も理解するには難しい国です。

 ◆どこの国のリーダーも立場上言わなければいけないことを言っているだけで、自分の本音は口にできない。その切ない事情をお互いに理解し合うリーダー同士の「目配せ」のようなものが外交の手詰まりを切り開く。相手の事情に共感するためには、一度自分の立場を離れて、中立的な立場から事態を見渡して議論することが必要だ。先方の言い分にもそれなりの理があるということを相互に認め合うことでしか外交の停滞は終わらない。

 −−外交において相手に譲るのは難しいことです。

 ◆外交でも内政でも、敵対する隣国や野党に日ごろから貸しを作っておいて、ここ一番の時にそれを回収できる政治家が必要だ。見通しの遠い政治家は、譲れぬ国益を守り切るためには、譲れるものは譲っておくという気遣いができる。多少筋を曲げても国益が最終的に守れるなら、筋なんか曲げても構わないという腹のくくり方ができる。

 大きな収穫を回収するためにはまず先に自分から譲ってみせる。そういうリアリズム、計算高さ、本当の意味でのずるさが保守の知恵だったはずだ。それが失われている。最終的に国益を守り切れるのが「強いリーダー」であり、それは「強がるリーダー」とは別のものだ。【聞き手・須藤孝】=つづく

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 ■人物略歴

 ◇うちだ・たつる

 1950年生まれ。東京都立大学大学院博士課程中退。多田塾甲南合気会師範。著書に「街場の憂国論」など。

http://mainichi.jp/journalism/listening/news/20140305org00m010007000c.html