ケータイ大喜利 300回の歴史に幕
ごくごく最初期は観ていませんが、月1回時代から欠かさず観てきた番組でした。
あまりに唐突すぎる終了告知と、全国ツアーと同日の、特にスペシャルでもない放送枠という最終回の迎え方にはいささか普通ではない「事情」を感じますが、外からは実際のことはわかりません。いずれにせよ、「惜しい番組をなくした」ということだけは確かです。
NHK「ケータイ大喜利」最終回 12年の歴史に幕
[2017年4月9日0時51分]NHKの「着信御礼!ケータイ大喜利」が8日、最終回を迎えた。「最終回スペシャル」生放送とし、司会の今田耕司(51)、板尾創路(53)、千原ジュニア(43)らが出演した。今田は直前まで生出演していたTBS系「オールスター感謝祭」の司会を終えてから駆けつけた。
「ケータイ大喜利」は05年に不定期放送で番組スタート。06年からは定期放送されている。視聴者参加型のバラエティで、大喜利のお題に対し、視聴者が投稿した回答を番組ないで紹介する。段位制を取っており、優秀な投稿者には「レジェンド」などの称号が与えられている。
番組ラストでは板尾が「終わる感じが今でもしないので、どこかでまた会えるのを楽しみにしています」と話し、千原は「12年といえば、小学3年生やった子が大学3年生ですよ」と独特の表現で12年の歴史の長さを表し、番組に幕を閉じた。
「ケータイ大喜利」12年の歴史に幕 板尾“審査委員長”が爆笑ラスト
視聴者参加型のNHKのバラエティー番組「着信御礼!ケータイ大喜利」(毎月第1〜3土曜深夜0・05)が8日深夜の生放送をもって最終回を迎えた。2005年のスタート以来、約12年の歴史に幕を下ろした。
08年4月からレギュラー放送。番組から出題される大喜利のお題に対し、視聴者は携帯電話で回答。今田耕司(50)が司会、板尾創路(53)が審査委員長、千原ジュニア(42)が投稿紹介(読み上げ)を担当した。
投稿者を「オオギリーガー」と呼び、判定により「ルーキー」「メジャー」(初段〜九段)「レジェンド」(初段〜四段)「シルバーレジェンド」「ゴールドレジェンド」と昇格。
番組最後のお題は、「『きょうの料理』にて。『ははぁ〜ん、若い彼女ができたな…』土井善晴さん何と言った?」。ゲスト出演者の料理研究家・土井善晴氏(60)をテーマにしたものだった。
エンディングでは、ジュニアが「12年ということは小学3年生の子が大学3年生ですからね」と独特の言い回しで12年間を総括。その後、今田が「最後は板尾審査委員長、視聴者に一言お願いします!」と恒例の“最後の一言”を振ったが、板尾が「はい」とだけ話したところで放送が終了した。
板尾らしさ全開のラストに、「最後の板尾さんは本当に最高でした」「板尾さんまさかの尺足らず」「さすがの板尾審査委員長」など放送直後のネット上は爆笑に包まれた。
NHK「着信御礼!ケータイ大喜利」の司会を務める今田耕司 Photo By スポニチ[ 2017年4月9日 01:15 ]
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/04/08/kiji/20170408s00041000497000c.html
この記事、個人的にツボだったネタが多数出てきます。リンクを貼った「完全版」は、この記事以上のネタの宝庫でした。
今夜最終回 「着信御礼!ケータイ大喜利」レジェンド22人と10年を振り返ってみた
2017年4月8日 (土) 10:00 配信 エキサイトレビュー
2015年、ケータイ大喜利10周年記念SP公開収録にて(NHKホール)今夜、遂に『着信御礼!ケータイ大喜利』(NHK総合)が最終回を迎える。毎週10万本単位の視聴者投稿が集まる大喜利番組、その始まりは12年前にさかのぼる。
開始当初、千原ジュニアは回答者だった
『着信御礼!ケータイ大喜利』のレギュラー放送が始まったのは2006年3月29日のこと。当時は月1回の放送だった。レギュラー放送までに3回の特番が放送されており、初回(2005年1月5日放送)ではいとうせいこうが、2回目以降は今田耕司が司会を務めている。
2回目の特番(2005年9月18日放送)を放送ライブラリーで確認すると、この時から司会:今田耕司、審査委員長:板尾創路(まだ白タキシードじゃない!)という布陣であり、投稿受付センターやCGセット、回答テロップなど、基本システムは現在と驚くほど変わっていない。スタジオで笑い声が起きても「2本」と判定する、板尾審査員長のブレなさも10年前からそのままだ。
現在と異なるのは千原ジュニアの扱い。レギュラー放送では最終選考と読み上げと担当しているが、当時はスタッフが回答を選定し、元NHKアナの加賀美幸子がマイペースにしっとりと読み上げていた(途中で噴き出すことも)
ジュニアが登場するのは番組が始まって5分後。「大喜利のプロ」としてスタジオに演台ごと運び込まれ、視聴者投稿に混じって大喜利に答える役回りである。今田耕司から「ジュニアのペンが止まりません!」「まさに『俺のあとに出せるのかお前ら!』と!」「ジャリズムの山下ではあんなところに座れません!」と散々ハードルを上げられ、髪をかきむしっていた。
ちなみに、いとうせいこう司会の初回は、審査員がなぎら健一や安めぐみ、中継が板尾創路と全く違う構成になっている。投稿が集中しサーバがパンクするトラブルも起きた。2回目ではシステムを改善し、40分の番組中に172,146本の回答を受け付けている。歴史はここから始まった。
レジェンドが選ぶ名回答
ケータイ大喜利では採用されていない人を「ルーキー」と呼び、採用後は「メジャー」に昇格。以降はアンテナ3本の判定を獲得すると昇段し、最高位に達すると「レジェンド」の称号を得る。段位制度は2007年4月から始まり、約10年後(2017年3月5日放送)に第100号のレジェンドが誕生した(※参考:レジェンドとはこんな人たち!|NHK 着信御礼!ケータイ大喜利)
今回、レジェンドを対象に「名回答」と「名場面」を聞くアンケートを実施。Twitterで呼びかけたところ、22名のレジェンドから回答を得た(ありがとうございます!)
「名回答」では、ケータイ大喜利の名物である「声のお題」がやはり人気。お題になった本人が答えを読み上げる構造はテレビならではの発明だった。複数のレジェンドから挙がった名回答を並べてみよう。
(完全版はこちら)お題:きょうの料理にて。「イヤなことあったのかな…」土井善晴先生何と言った?
答え:僕が僕じゃなくなったら絶対止めてくださいよ(大阪府 Kid君さん)お題:ななみちゃんが商店街を散歩する番組「ななみ散歩」がスタート。ニセモノだろ!何と言った?
答え:野良猫がガリガリじゃねえか(千葉県 ナンさん)
「なぜこの発想に至ったのか不思議。最優秀賞発表前に今田さんが『アレしかないでしょ』と発言。一番笑いました」(第85号 グシャグシャバキバキ)お題:阿藤さんがしゃべるカーナビが登場!「余計なこというなあ…」何と言った?
答え:バカ!オレから見て右だよ!(福井県 おわらいさん)お題:サッカー中継。解説者席の前園さん「ちゃんとやってください」何と言った?
答え:逆転してるじゃないですか!(神奈川県 でろぼ〜さん)
「短い文なのに前後が一瞬で色々と想像できて面白い、すごい答えだと思いました」(第50号 misago)お題:そんなに興奮して言うことか?ラオウ 何と言った?
答え:私は貴様などとは「おとももち」ではない!(兵庫県 イコリハイミランさん)また、ケータイ大喜利を始めるきっかけになった答えを挙げるレジェンドの方も。
お題:高校の部活。「なんじゃそれ!」カレーライス部ってどんなの?
答え:3年間白メシしか食べられなかった補欠部員もいる(神奈川県 新丸子在住さん)
「たまたまテレビをつけ初めてケータイ大喜利を観て、この答えを見て大笑いしました。『自分もやってみたい!』と思い大喜利を始めるきっかけになった思い出深い答えです」(第64号 まるっぱ)お題:「来るんじゃなかった…」どんなマジックショー?
答え:力ずく(奈良県 レーゲンさん)
「僕はこの回答に憧れてケータイ大喜利を始めました」(第20号 ごくごく係長)面白い答えが面白い投稿者を呼び寄せ、再び面白い答えが生まれる。幸福なサイクルができていたからこそ、番組が10年以上続いたのかもしれない。
「生きる名場面」板尾審査員長
「名場面」で票を集めたのは板尾審査委員長の2大事件、「無言」と「だーはいたー」だった。
「板尾さん、沈黙のまま番組放送終了」(第34号 イコリハイミラン)
「板尾さんが無言で終わるやつ」(第22号 すり身)
「板尾さん無言のままエンディング」(第98号 すかいどん)
「板尾審査員長沈黙の5秒間」(第82号 帰ってきたメタボリゴン)2008年6月8日、番組終了まで残り5秒のところで「最後に一言メッセージをお願いします!」とふられた板尾審査委員長。潤んだ瞳でじっとカメラを見つめたまま、一言も発することなく番組が終了してしまった。この衝撃エピソードは後日『人志松本のすべらない話』で千原ジュニアが披露するほど。局を越えてすべらない板尾さんだ。
「だーはいたー」(第2号 シェンシェン携帯)
「2009年NHKホールにおける公開収録での板尾さんの「だーはいたー」発言、からのスタンディングオベーション。現地で拝見しましたが、圧巻でした」(第36号 ばっくざらん)」2009年7月12日、NHKホールで行われたケータイ大喜利初の公開収録。オープニングで「(公開収録は)基本的に大反対」とコメントし「なんでですか!w」とツッコまれていた板尾審査委員長。エンディングで今日の感想を聞かれ、再び「基本的には大反対です」と答えようとしたところ、「基本的にはだーはいたーです」と思いっきり噛んでしまう。しかし板尾審査委員長、照れるどころか胸を張り、宙を見つめて堂々と仁王立ち。その潔さに客席からの拍手が止まらず、遂にはスタンディングオベーションまで巻き起こったのだった。
板尾審査委員長以外で多かった名場面は、レジェンド第1号誕生の瞬間のこと。
「レジェンド第1号ぺえさん誕生」(第17号 おまんじゅう)
「レジェンド1号の誕生からの『レジェンドは照れるよ』」(第78号 グレート・キタ)
「やはりレジェンド1号(ぺえさん)が誕生した瞬間ではないでしょうか。その時の『レジェンドは照れるよ』は衝撃的だったし、自分に火が点いた記憶も鮮明です」(第13号 でろぼ〜)レジェンド第1号が誕生したのは2008年1月1日。初めての元旦SPでのこと。お題4でアンテナ3本を獲得し、レジェンド第1号になったぺえさん。直後のお題5「10文字作文。テーマは『ウザいっ』」に生投稿し、読まれた答えが「レジェンドは照れるよ」だった。直前の出来事を答えにし、10文字ぴったりに収める瞬発力に舌を巻く。
他の名場面をフレーズだけ抜き出すと「カニ歩きの体操」「粉雪〜」「ライチンゲールさん」「忍び寄るAV業界」など。「投稿者の名前がツボにはまる今田さん」「オールスター感謝祭から移動してくる今田さん」などの「今田さんあるある」も名場面として挙げられていました。
採用は日常のなかの非日常
レジェンドのなかには、ピン芸人として活躍するおほしんたろうさん(第4号 おほ)や赤嶺総理さん(第40号 赤嶺総理)、伝説のハガキ職人となり構成作家も経たツチヤタカユキさん(第16号 MURASON侯爵)など、お笑いのプロの道に進んだ投稿者もいる。「ケータイ大喜利レジェンド」のブランドは強力なようだ。
「最近は『またいつか送ろう』と思いながら、あまり投稿していませんでした。番組が終わると知ってから急に『もっと投稿しておけば良かった!』という後悔の念がこみ上げ、幼馴染が結婚することになってようやく自分の中の恋心に気づく、的な状況になりました。僕は馬鹿な男です。でも好きだった!ありがとうケータイ大喜利!」(第4号 おほ)
「芸人活動は本名で、と思っていたのですが、沖縄での公開収録で今田さんが『赤嶺総理そのまま使いや、せっかくやねんから』と言ってくださったおかげで、この名前でいくことになり、周りに覚えてもらいやすくなったり、大喜利の仕事が入りやすくなったりました。初めて読まれたときに背中と足の裏に汗をかいたあの感覚をずっと覚えています。ありがとうございました!」(第40号 赤嶺総理)
「会社員のかたわら芸人活動もしているのですが、この番組のブランド力は意外と強くて、『ケータイ大喜利のレジェンドなんです』と言うと芸人の2人に1人ぐらいはおおーって言ってくれます。すごく自己紹介がしやすいです。番組が終わってしまうと聞いて、寂しい悲しいより「不便になるなあ〜」が正直な感想です」(第41号 みきさん)
しかし、大半のレジェンドはプロではなく「一般」の人だ。投稿が採用された瞬間、テレビのこちら側とあちら側が繋がる。日常に現れる一瞬の非日常が癖になってしまった人ばかりだ。
「自分自身が読まれた時の心震えるような感動と、読まれない時のひざから崩れ落ちるような挫折を味わえる唯一無二の番組でした」(第90号 セッドあとむ)
「四年足らずの参加でしたが、日常では味わえない刺激ある体験をさせて頂き感謝しております。というかお題が無いと生きられない身体にされたので是非とも何らかの形で復活を期待しております」(第71号 ひざガクガク)
「2008年から公開収録を観覧し続け、気付いたら13回も足を運んでました。その間に観覧仲間は増え続け、最終的には30人を超すまでに膨れ上がりました(笑)。ケータイ大喜利がなかったら全国津々浦々、同好の志と巡り逢えなかったと思います。たくさんの思い出と仲間たちをくれてありがとう」(第36号 ばっくざらん)
「レジェンドとして、そしてレジェンド・オブ・レジェンドとして評価を頂き、こんなに自分に自信が持てたことは他にありません。自分を変えてくれた「着信御礼!ケータイ大喜利」に本当に感謝しています!ありがとうございました!!」(第20号 ごくごく係長)
泣いても笑っても生放送はあと1回。『着信御礼!ケータイ大喜利』最後の生放送は4月8日(土)24:05から。夕方17:15には公開収録「全国ツアー IN 広島」の放送もあります。レジェンドだけでなく、ルーキーもメジャーも最後の採用のチャンス。もう、読まれたい人みんな読まれたらいいのに……!
◆アンケートにご協力いただいたレジェンドの皆さん:
イコリハイミラン(第34号)、みきさん(第41号)、あってぃ(第35号)、ひざガクガク(第71号)、あやひーのでし(第74号)、すり身(第22号)、おまんじゅう(第17号)、kid君(第73号)、すかいどん(第98号)、ささら(第60号)、まるっぱ(第64号)、ごくごく係長(第20号)、セッドあとむ(第90号)、ばっくざらん(第36号)、帰ってきたメタボリゴン(第82号)、グレート・キタ(第78号)、赤嶺総理(第40号)、グシャグシャバキバキ(第85号)、でろぼ〜(第13号)、シェンシェン携帯(第2号)、misago(第50号)、おほ(第4号)(回答順、敬称略)(井上マサキ)