言葉の問題

例えば日本だと、「慰霊」だとか「顕彰」だとか「追悼」だとかいった言葉の意味内容や概念をめぐって詳細で緻密な議論が展開されたりしているわけですが。

慰霊と顕彰の間―近現代日本の戦死者観をめぐって

慰霊と顕彰の間―近現代日本の戦死者観をめぐって

霊魂・慰霊・顕彰―死者への記憶装置

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慰霊・追悼・顕彰の近代 (日本歴史民俗叢書)

慰霊・追悼・顕彰の近代 (日本歴史民俗叢書)

「韓国の場合はどうか」と言えば、そういう概念語については比較的フラットで陰影のない使い方をしているように思います。細かい差異をめぐって厳密な使い分けを云々する状況というのは、あまり思いつかないですね*1

むしろ、そうしたフラットな言葉遣いのもとに包摂されている現実の安葬者たちの間には、そうした用語には反映され難い微妙な差異が亀裂として走っていて、その亀裂をどう扱うか(切り離すのか、埋めるのか、あるいは表面を塗ってしのぐのか…)が問題になり得ると思います。

もちろん、その取り扱いには、概念をめぐる抽象的なレベルもあるでしょうし、現場をめぐる具体的なレベルもあるでしょう。実態としては、日本でしきりに議論されている前者は、韓国では相対的にあまり問題にされていないように思います。


こういう堅苦しい話の後には、지윤씨のさわやかな笑顔をどうぞ。

*1:もちろん、大して当てにならない「管見の限り」においてですので、あまり真に受けないでください。