この雑誌、新幹線の車内販売の案内でよく耳にする他にはあまり触れる機会はないのですが、いくつか載せられている靖国関係記事の中で、この記事が注目されているようです。実際、しばしば蒸し返されるポイントについてのアメリカ側の論理が平易かつ明晰に説明されていて、一読の価値があります。
靖国参拝を米国が許容できない理由 日米の認識のギャップ - WEDGE Infinity
私自身の経験から言えば、アメリカ政府の関係者やアメリカ人研究者と話をするとき、中国や韓国の専門家が相手であっても「戦争に負けたら、国のために犠牲になった人に尊敬の念を表してはいけないのか?」という問いに「そうだ」と答えることができる人はまずいない。いわゆる「歴史問題」に関する誤解や疑問について日本の立場を丁寧に説明すれば、「日本が国のために命をささげた人たちを追悼し、敬意を表すことは批判されるべきではない」という点については、同意してくれるようになることが殆どだ。
しかし、その場合でも、「戦争の犠牲者に対する日本人指導者による敬意の表し方」としての「靖国神社参拝」はどうしても理解してもらえないのだ。特に、ちょっと日本に詳しい人になると、1979年にA級戦犯が合祀されて以降、天皇陛下が靖国神社を参拝していないことも知っており、「天皇陛下ですら参拝していない場所を参拝することに、なぜ一部の日本の指導者はそこまでこだわるのか」となる。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3484?page=1
ちなみに、靖国神社参拝の正当性を主張する際に、米国バージニア州のアーリントン国立墓地を引き合いに出し、「アーリントン国立墓地だって南北戦争時の南軍の兵士が埋葬されていても大統領が献花したりするのだから、靖国神社に総理が参拝して何が問題なのだ」という論調を日本で目にすることがあるが、これはアメリカ人には全く受け入れられないたとえである。
彼らに言わせると、アーリントン国立墓地は、確かに南軍の兵士も埋葬されているが、宗教色のない墓地であり、敷地内に奴隷制や朝鮮戦争、ベトナム戦争の正当性を主張するような資料館もない。さらに「米軍で戦闘地域に派遣される時に『アーリントンで会おう』と言って出発する兵士なんかいないよ」というあるアメリカ人の研究者の言葉が端的に示すように、国立墓地の存在が米軍人の精神的支柱になってはいないという意味で、靖国神社とアーリントン国立墓地は「似て非なるもの」なのだ。
要は、米国では、靖国神社とは、A級戦犯の合祀や、敷地内の資料館「遊就館」の展示を含め、戦前の日本の行為を正当化する象徴的存在なのである。つまり、そこに日本の総理が参拝することは、事後にどのような説明があったとしても「第二次世界大戦前の日本の行為を正当化する歴史観の肯定」であり、サンフランシスコ講和条約以降の国際秩序(当然、日米安全保障体制もその一部に含まれる)の否定につながる。これは中国や韓国の反応を抜きにして、米国として許容できないものなのである。
さらに日本の総理が靖国神社に参拝することで、中国や韓国に「日本の軍国主義化」について大騒ぎをする絶好の口実を与えることになり、日本にはこれからアジア太平洋地域で安定した安全保障環境を作り出すために一層、安全保障分野での役割を拡大してもらいたいと考える米国にとっては非常に具合が悪い。つまり、日米同盟をこれから深化させていきたいという米国の意図が本物であればなおさら、日本の総理大臣による靖国神社参拝は敵に塩を送るに等しく、「百害あって一利なし」の行為なのだ。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3484?page=2
それにも拘わらず先月、安倍総理が靖国神社参拝に踏み切ったことで「安倍は個人の信条を日米同盟の将来や日本の国益に優先させる指導者なのか? そうだとすると、尖閣諸島で状況が緊迫するようなことがあった場合に、理性的な対応をしてくれることを本当に期待できるのか? わざと中国を挑発するような行為に走らないといえるのか?」という不信感が湧き上がっている。「大局的判断よりも自分の思い入れにこだわる指導者を米国は信頼できるのか? そのような人物がけん引する日本という国との関係を強化することで、米国がリスクを抱え込んでしまう可能性はないのか?」というわけで、米国の東アジアにおける立ち位置を考慮したうえでの「日本リスク論」が首をもたげているのである。
このような不信感は、参拝から2週間が経過した今も根強く残っている。これまでは靖国神社参拝を「日本と中国・韓国の間の過去の歴史を巡る問題の一つ」であるとして、事態を静観していた米国が、今回の靖国神社参拝を契機に、この問題に当事者意識を持ち始めるに至っているのである。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3484?page=3
国に命をささげた人に敬意を表し、追悼の意を表すために靖国神社に総理として参拝したい、して何が悪い、という安倍総理の思いも理解できる。しかし、この問題はまだ日本の中でも意見が分かれている。日本の国内がそのような状況なのだから、参拝を「国民との約束」と説明するのは無理があったのではないか。であるならば、米国にも一定の配慮を示しつつ、靖国神社を参拝するような方法は模索できなかったのだろうか。
参拝そのものへの注目が大きすぎてほとんどのメディアが報じていないが、靖国神社参拝後に安倍総理が出した声明は「不戦の誓い」がはっきりと言及され、参拝に当たっての安倍総理の思いが伝わってくる、非常に良く書かれたものだ。たとえば、靖国神社参拝直後に千鳥ヶ淵にも献花し、そのあと、正式な記者会見を開いてあの声明を読みあげ、記者からの質問に答える、という方法を取ったらどうだっただろうか。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3484?page=4
ただ、最後のくだりにある件などは、当然このようなニュースと突き合わせて読まれなければならないでしょう。安倍さんが何を手段とし、何を目的としているのか。また、そこから生じる結果をどこまで引き受ける気でいるのか。正直言って見極めかねています。特に、「目的」の部分がよくわからないところが、何とも不気味です。
自民党:運動方針案 「不戦の誓い」削除 靖国参拝の表現
毎日新聞 2014年01月09日 東京朝刊自民党は8日、2014年運動方針案を発表した。靖国神社参拝に関し、原案にあった「不戦の誓いと平和国家の理念を貫くことを決意し」との表現を削除し「(戦没者に対する)尊崇の念を高め」との文言を追加した。
7日の党総務会で原案に対し「靖国神社は犠牲になった方に尊崇の念をささげるために作られた。不戦の誓いと混ぜないほうがいい」との意見が出ていた。
不戦の誓いを削除したことについて、竹下亘組織運動本部長は記者会見で「前文に(入れた)」と説明。ただ、前文は「平和の維持こそわが国の繁栄の基礎」との表現で、「不戦の誓い」という言葉はない。
安倍晋三首相(党総裁)は昨年12月の参拝後に「二度と戦争の惨禍によって人々の苦しむことのない時代をつくる。その決意を込めて不戦の誓いをした」と説明。自民党の13年運動方針も「参拝を受け継ぎ、国の礎となられた方々に哀悼の誠をささげ、不戦の誓いと恒久平和の決意を新たにする」との表現で「不戦の誓い」を盛り込んでおり、整合性が問われそうだ。
最終案は「参拝を受け継ぎ、国の礎となられた方々に対する尊崇の念を高め、感謝の誠をささげ、恒久平和への決意を新たにする」との表現になった。19日の党大会で正式決定する。【高橋恵子】
http://mainichi.jp/shimen/news/20140109ddm002010047000c.html