「歴史認識問題」はどこまで「不可避の問題」か:韓国から中国への遺骨返還の余話として

黒田さんの立場からはそういう結論になるのでしょうが、個人的には「その一見矛盾している〈韓国の態度〉がなぜそのような現れ方をするのか」というのを、問いに設定したいところです。

ちなみに、この話に直接関係している坡州の敵軍墓地については、さしあたりこのあたりの記事でもどうぞ。

京畿道坡州市積城面畓谷里・敵軍墓地を訪れる。

朝鮮戦争時の中国兵遺骨返還へ

敵軍墓地の遺骨発掘作業

【から(韓)くに便り】「謝罪・反省」なくても仲良く?
2014.4.13 03:02

 韓国で以前、知り合いが今は亡き母親から聞いた朝鮮戦争(1950〜53年)の思い出話として紹介してくれた話がある。

 母は当時、10代でソウル南方の龍仁に住んでいた。ところが中国軍がそこまで侵攻してきて中国軍兵士に遭遇した。母はたまたま足にケガをしていたのだが中国軍兵士に手当てしてもらったと、懐かしそうによく話していたというのだ。

 戦争の際、軍事占領地ではままあるエピソードだが、朝鮮戦争時の韓国人の中国体験を聞くことはほとんどないので印象深く覚えている。この母親の体験は歴史的にはいわゆる「1・4後退」のころだろう。

 戦争は北朝鮮軍による突然の奇襲攻撃で始まり、首都ソウルはたちまち陥落し北朝鮮軍に占領された。その後、米軍(国連軍)の支援でソウルを奪還し、その勢いで韓国・国連軍は北朝鮮軍を中朝国境まで追い詰めた。

 しかしそこで中国軍が30万の大兵力で軍事介入し、北朝鮮軍とともに再び南下してきてまたソウルは占領されてしまった。51年1月4日。「1・4後退」といわれ多くの避難民がソウルの南に逃れた。

 この話を思い出したのは、先ごろ韓国政府が対中国友好策として、韓国に埋葬されていた戦争当時の中国兵の遺骨(437体)を中国に送還し、それが友好美談として大々的に報道されたからだ。遺骨は中国でも大々的に迎えられ瀋陽の「抗美援朝烈士陵園」に安置された。

 中国は朝鮮戦争への介入を「米国に抗し北朝鮮を支援した正義の戦争」といい、戦死者は「烈士」として英雄になっている。

 しかし首都まで占領された韓国にとって中国の軍事介入は侵略である。被害は人的、物的なもののみならず、侵略者・金日成政権を中朝国境まで追い上げ、韓国主導の南北統一までいま一歩のところを中国に妨害されたのだ。

 ところが韓国は政府もマスコミもこの過去について、92年の国交正常化時を含め中国に「謝罪と反省」を求めようとしない。「侵略」か「正義」かで歴史認識は完全に対立しているが中国には「正しい歴史認識」や「歴史認識の一致」を要求しないのだ。

 いや、本当は要求したいだろう。過去を「反省」させ「今後は韓国(朝鮮半島)への軍事介入(侵略)は繰り返しません」と約束させたい。しかしそれにこだわると国交正常化もその後の友好・協力・親善もうまくいかないので、棚上げにして黙っているのだ。

 韓国は「中国とは歴史認識が一致しなくてもいい」というわけだ。日本向けとは異なるこの矛盾した韓国の“二つの顔”に日本の世論はうんざりしている。

 中国の習近平国家主席は先にドイツ訪問の際、大学での講演で日本軍国主義を非難する一方、「中国は長い間、強大国の地位にあったが他国を侵略した記録はない」と語ったと韓国マスコミが北京発で伝えていた。しかし韓国政府もマスコミもこれに対し「妄言」と批判、非難し、中国政府に抗議したという話は一向に聞かない。(ソウル駐在客員論説委員黒田勝弘

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140413/kor14041303020001-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140413/kor14041303020001-n2.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140413/kor14041303020001-n3.htm

瀋陽の抗美援朝烈士陵園への移葬についてはニュースをチェックしていなかったので、この機会にクリップ。

沈阳抗美援朝烈士陵园 - 维基百科

沈阳抗美援朝烈士陵园 - 百度百科

沈阳抗美援朝烈士陵园:迎接忠魂回故里
2014年03月28日 20:16 来源:中国新闻网


3月27日,康明在沈阳抗美援朝烈士陵园外抚摸陵园标示。当日,康明、韩晓燕等志愿军后代一行10余人,前往沈阳抗美援朝烈士陵园,祭奠她在朝鲜战场牺牲的亲人,翘首遥望沈阳抗美援朝烈士陵园内。中新社发 于海洋 摄


3月27日,康明在沈阳抗美援朝烈士陵园外。当日,康明、韩晓燕等志愿军后代一行10余人,前往沈阳抗美援朝烈士陵园,祭奠她在朝鲜战场牺牲的亲人。中新社发 于海洋 摄

  中新社沈阳3月28日电 (记者 司晓帅)437具中国人民志愿军烈士遗骸28日从韩国运抵中国沈阳,中方计划将这些烈士遗骸安葬在沈阳抗美援朝烈士陵园中。

  1950年,朝鲜战争爆发。同年10月,中国人民志愿军跨过鸭绿江赴朝参战。地处沈阳近郊的抗美援朝烈士陵园,正是在中国人民志愿军参战半年后开始建设的。

  1951年8月,沈阳抗美援朝烈士陵园正式落成。初建的陵园总面积约6万平方米,为坐东朝西、面阔五间的砖砌平房。半个多世纪过去了,如今陵园占地面积已是当年的4倍。

  陵园大门两侧,嵌在墙壁上的“1950”和“1953”巨型数字十分醒目,这是中国人民志愿军赴朝参战和美国被迫在板门店签订停战协议的时间。

  陵园内,一座由花岗岩砌成的抗美援朝烈士纪念碑矗立广场正中。碑体正面是中共元老董必武的亲笔题字“抗美援朝烈士英灵永垂不朽”;纪念碑背面则刻有中国著名文学家郭沫若为志愿军烈士的题诗。

  在纪念碑侧方,烈士墓地整齐排列,这里长眠着100多位中国人民志愿军烈士。特级战斗英雄黄继光、杨根思,一级战斗英雄邱少云、孙占元、杨连弟等家喻户晓的战斗英雄也都安葬于此。

  如今,437具中国人民志愿军烈士遗骸魂归故里,迎接烈士遗骸的沈阳抗美援朝烈士陵园庄严、肃穆。记者当天看到,尽管陵园已贴出闭园公告,谢绝参观祭拜,但仍有不少民众守候在陵园门前,迎接先烈“回家”。(完)

http://www.chinanews.com/gn/2014/03-28/6007296.shtml

437具志愿军烈士遗骸回国 - 汉网杂谈 - 汉网社区


通讯:“期待更多志愿军烈士遗骸回归故里” - 新浪新闻