【世宗の風景】世宗市公園墓地・第1墓域

このエリアの話、もう少し続きます。

霊楽園・国家有功者墓域・第2墓域から道路を挟んだ向かい側には、新納骨堂である「追慕の家」と、開場時に設置された最も古い墓域である第1墓域があります。

このスロープを上りきったところにある「追慕の家」は次回に回すとして、今回はその隣に広がる第1墓域について。

こちらの墓域は、第2墓域でも見る共通規格の墓碑がずーっと並んでいます。どの墓碑にも、基本的には横面に年月日が刻まれているので、埋葬された年代はそれを見ればわかります。第1墓域の下のほうは1990年代前半のお墓が並んでいます。見る限り、イレギュラーなお墓はほとんどなく、移葬(改葬)された例はあまり見られないようです。このあたりの整然としたたたずまいは、ほぼ埋葬当初の形のままであると思われます。


上に行くにつれて、少しずつ年代が古くなっていきます。このへんで1986年のお墓です。


ここで振り返って見上げると、こんな感じになります。


途中省略していちばん上まで行くと、最上段の一番手前に「八〇‐一‐一」というお墓があります。どうやらこれがいちばん古いもののようですので、この墓域への埋葬開始は1980年だろうと推測できます。

ここまで来ると若干、周囲とは異なる墓石も見られますが、これらも「移葬→新規埋葬」ではなく、墓石のみのリニューアルであるようです。

ちなみに、最上段の奥半分は、1986年以降のお墓が並んでいます。開場当初から予定されていたのかもしれませんが、この墓域が拡張されていった様子を、そうした年代を観察することによって知ることができます。

全体として、1980年代から1990年代初頭の十数年間、この地域の死者を受け入れたこの墓域は、例えばソウルの忘憂里墓地などと比較して非常に安定して落ち着いた様子を見せており、火葬の普及や墓地用地不足などの要因による移葬*1への圧力がほとんど届いていないように見えます。

世宗特別自治市となったものの、このあたりが都市化するのは当分先、もしくはそもそも都市化するかどうかもわかったものではありませんから、こうした地域の葬墓文化の変化を観察するには、急激に変化する都市部とは違う時間感覚を、前提としておく必要がありそうです。


*1:具体的には、「土葬遺体を掘り出して火葬し、納骨堂へ納骨、もしくは自然葬を行なう」といったことです。