十三駅が改装工事をしているのは知ってましたけど、そんなのが見つかっていたとは知りませんでした。これがあるところ、その上に何か白い覆いが掛けられてませんでしたか?
時代的には、このブログに載っている頃のことです。このブログ記事だけでもめっちゃおもろいです。
似たような「発見」の先例にJR大阪環状線・寺田町駅の駅名表示板があります。ですが、今のままだと、保存展示されている寺田町とは違う扱いをされてしまいそうです。
自社の鉄道事業史に関わる貴重な歴史的遺産の発見だと思うんですけど、阪急って会社はこういうとこ、クールというか冷淡というか。何やねん最後の担当者コメントは…。
公式ツイッターも、まだ反応ないですねえ。
阪急十三駅に60年前の表示板か 壁の塗装はがしたら…
広島敦史 2017年3月8日10時53分
阪急電鉄十三駅で見つかった古い行き先表示。右から「宝塚」「みのお」「京都」などと読める=大阪市淀川区、広島敦史撮影
阪急電鉄十三駅で見つかった昔の行き先表示。「中津」「京都」などと読める=大阪市淀川区、広島敦史撮影阪急電鉄の十三(じゅうそう)駅(大阪市淀川区)で、60年ほど前に書かれたとみられる古い行き先表示が見つかった。駅の改装工事で地下階段の壁の塗装をはがすと、「宝塚」「京都」などといった文字が現れたという。阪急は壁を新しく塗り替える予定で、4月ごろまでには見られなくなりそうだ。
特集:テツの広場
十三駅には京都線、宝塚線、神戸線の3路線があり、1月からリニューアル工事をしている。古い行き先表示は、改札内で各路線のホームにつながる地下の階段脇の4カ所の壁に直接、書かれていた。ほとんどの文字はかすれて読みにくいが、阪急によると、宝塚線ホームにつながる1カ所は、行き先として「中津」「京都」「みのお(箕面)」「宝塚」などと読める。一部の行き先には下に「③」などと書かれ、乗り場の数字と考えられるという。
阪急にも詳しい資料はなく、いつ書かれたものか特定できていない。ただ、京都と宝塚など異なる路線の行き先が併記されていることから、地下階段が完成した1955年ごろから、京都線が宝塚線の線路を使って梅田駅まで乗り入れていた59年ごろまでの間に書かれたと考えられるという。
阪急は保存などは考えておらず、春までには壁を塗り替え、新たな行き先表示などを設置する予定。古い表示は早ければ今月中には見られなくなる。
担当者は「昔も今も、利用者に分かりやすい案内を心がけたい」と話している。(広島敦史)