ソウル近郊日帰り 知らない人のお墓参りツアー 3

昨日からの続きで、今日はかつて一度行ったことのある「만우리공원묘지(忘憂里公園墓地)」へ行ってみた。

相変わらず墳墓移転費用の支援をお知らせする横断幕が出ているように、1970年代に土葬形式のお墓で満場になっている忘憂里墓地は現在、移葬が進められている。以前にも見たのだが、その跡地の様子を改めて確かめに行ったわけだ。



移葬された跡地の例として挙げられるところは、だいたいこんな状態である。土饅頭がならされ、これ見よがしに木が植えられているところもある。この植え方は、いかにも「さっさと墓だったことなんてなかったことにしたい」という感じで、正直、あまり趣味がよろしくないように思う。

ここに来ると、お墓も生きているということがよくわかる。訪れる者もなく、長らく放置されていると思しきお墓は、やはりそのようなたたずまいを見せている。

しかし、こうして徐々に忘れられていき、いずれは自然に帰っていく。墓というものはもともと、そのようなものであるのではないかと思う。そこまでの長期的なプロセスが、文字通りの意味での「自然葬」ではないかとも思えるのである。個人的には。

その運命に過度に抗うのも、その運命を過度に促進させようとするのも、ある意味で「不自然葬」ではないかと思うのだ。

その一方で、都市という不自然な環境で生活する者には、不自然葬のほうがむしろふさわしいのかも知れないとも思う。今回の日帰りツアーで何となく感じ取れたのは、「韓国の墓地問題とは、都市問題とパラレルな問題、もしくは都市問題そのものではないか」ということである。

都市生活を営む以上、村落生活を前提とする伝統的な葬墓文化が実態にそぐわなくなってくるのはやむをえない。もしかしたら、現代的な都市生活は、火葬や納骨堂を受け入れるのと引き換えで、享受できるものであるのかも知れない。とすれば、都市人口が増える限り、納骨堂のような「死者に関わる計画の合理化・都市化」も避けられないだろう。

この問題に対する処方は、いまなお実験段階である。


ところで、今回の目的はもう一つあって、それは「浅川巧のお墓を探す」ということだった。しかし、前回もそうだったのだが、漫然と探しているだけでは、どうにもこうにも見つけられないところにあるようだ。

この件については、いずれまたリベンジすることにするとして、いろいろ検索している過程で、こういう本を見つけたので、ここに紹介しておくことにする。

그와 나 사이를 걷다: 망우리 비명으로 읽는 근현대 인물사

약 4년간에 걸친 현장답사와 자료조사를 통해, 이미 망우리공원의 유명인사로 알려진 문일평, 박인환, 방정환, 아사카와 다쿠미 등은 물론이고, 아직 망우리공원에 있다는 사실이 잘 알려지지 않은, 함세덕, 채동선, 차중락 등 총 40여명의 인물들을 소개한다. 유족 취재와 많은 자료 조사를 통해 그동안 세상에 알려지지 않은 흥미로운 이야기들을 서술한다.

たぶん、下の記事にあるような『新東亜』での連載の単行本化だと思われる。浅川巧を含む忘憂里に眠る死者を通した近現代史人物史ということで、たいへん面白そうだ。

[망우리 별곡─한국의 碑銘문학 4]조선을 사랑한 일본인, 한국의 나무와 흙이 되다

何度も書くように語学はぜんぜんできないのだが、買ってみようかと思っているところである。