アンソジンに会いに行く・その5(終)
こちらの続きですが、もうそろそろ終わりにしましょうね。
どれくらい、その前にいたでしょうか。
その目の前の現実と向き合いながら、それを受けとめるのには、しばしの時間が必要です。
言いようのない無力感。現実にも如何ともし難い自分の無力さ。
それを認めた上で、なお私には何ができ、何をすべきなのか。
答えが返ってきたわけでもない対話をして、別れの挨拶をするまでに、2時間ほどかかったでしょうか。
またここを訪ねる機会は、私にはあると思います。
(その時まで、私が生きてさえいれば。)
アンソジンも、少なくとも15年は、ここにいるはずです。
(韓国の法律は、そのように定めています。その先は、遺族であるご両親の意向次第です。)
その間、どれほどの人がソジンに会いに来るのか、私にはわかりません。
2030年、どれほどの人がソジンを記憶し、気にかけているのか、それもわかりません。
わかるのはただ、様々な年齢の人々に囲まれて、彼女は静かにそこにいる、ということです。
追記:参考までに、奉安堂内の案内掲示を示しておきます。
訪問者のための留意事項としては、飲食物搬入禁止と、写真・花・手紙などの貼り付け禁止くらいでしょうか。ご遺族や他の訪問者の方々の迷惑にならぬよう、ご配慮ください。
追記2:大田追慕公園は火葬場のない葬墓施設なので、簡単な売店があるのみで、食堂などはありません。食事については各自準備しておくか、大田市内に戻ることをお勧めします。
私はこの時、いったん西部市外バスターミナルに戻ってから、ハンバッ大学校行きの113番のバスに乗り換え、ハンバッ大のある徳明洞まで行ってヘジャングクを食べたので、だいぶ遅い昼食となってしまいました。