へえ。そういう取り組みが進んでいるんですね。興味深いです。
何度も訪れている大田ですが、そうした近代史的な側面にはこれまで全然触れられていないので、一度ちゃんと見て回りたいと思っています。
こうした話題に関心のある方は、まずは「韓国古建築散歩」が必見のサイトです。
ここだと、この記事は直接的に関連したものですね。偶然のことなのですが、アンソジンの眠る納骨堂と同じ場所にあるんですよ。
【大田の風景】大田追慕公園に移されてきたお墓の数々 - 大塚愛と死の哲学
これも何かの縁、ソジンが生まれ育った大田にあるこうした墳墓やその歴史的背景にも、少しだけ関心を持っていただければ幸いです。
2017年2月25日 夕刊
消えゆく故郷、映像に 韓国・大田の日本風まち並み
(上)展示会について話し合う後藤さん(左)と●さん(中)ら。手前のパソコン画面は線路をモチーフにした作品=愛知県江南市で(下)韓国・大田市に残る日本の鉄道技術者が住んだ木造官舎戦前に日本人が多く移り住んだ韓国のまち「大田(テジョン)」の出身者らで結成した団体「日韓市民ネットワーク・なごや」(事務局・愛知県江南市)は二十六日、名古屋市で開く総会で、大田で撮影された日本風の家屋や官舎のあるまち並みの映像を上映する。撮影には現地の市民も協力しており、メンバーたちは「日韓関係が悪い時期だからこそ、互いのつながりを深められれば」と期待を込めている。
日韓市民ネットワーク・なごやは一九九八年、昭和初期生まれの大田中学の同窓生やゆかりの人ら約四十人で立ち上げた。現在のメンバーは東海三県を中心に百人ほど。名古屋市の大学に留学した韓南(ハンナム)大(大田市)の留学生を「孫のよう」と歓迎し旅行に連れて行ったり、逆に「故郷」の大田に行くと現地の日本人墓地を案内してもらったり、交流を深めてきた。
大田市では当時の歴史を知る人が減り、日本式の木造建物が残る地区も再開発で取り壊される見通しに。市職員や日本在住の韓国人芸術家らが地区の写真や証言を残す活動をしている。市職員らが昨年、大田出身の日本人から当時の様子を聞き取るために来日した際は、メンバーが出身者を紹介するなど協力した。
今回の上映では、まち並みの映像に加え、こうした調査を基に現地で昨年十一月に開かれた展示会の様子も紹介する。展示会では、大田出身のメンバーが当時のことを語った映像や、提供した写真が紹介された。代表の後藤和晃さん(77)は「大田に縁のあるメンバーは亡くなった人も多い。常に故郷を懐かしんでいた思いを、展示を通して大田に届けられた」と喜ぶ。
聞き取りをした韓国人芸術家の●相順(ペサンスン)さん(45)=京都市=も総会に出席予定。植民地政策を支えた鉄道の拠点でもあった大田を巡り、故郷を懐かしむ日本人と、苦い思い出を残す朝鮮人の“交わらない記憶”を、線路をモチーフにした作品で表現しており、映像で紹介する。●さんは「日韓の複雑な近代史を考えるきっかけになれば」と話す。
総会は午後三時から名古屋市中村区井深町の名古屋韓国学校で始まり、ビデオ上映は同四時ごろから。一般の人も参加できる。問い合わせは、日韓市民ネットワーク・なごやへ。
(岡崎支局・森田真奈子、写真も)
◆植民地政策の拠点 終戦前邦人1万人
<大田(テジョン)> 韓国中部にあり、人口約150万人の都市。1905年、鉄道の開通に伴い日本の鉄道技術者らが移住して都市形成が始まり、10年の日韓併合後は労働力や食糧を日本に運び出す植民地政策の拠点にもなった。終戦直前には1万人以上の日本人が居住していた。朝鮮戦争でまちの大部分が焼失したが、官公庁の庁舎や官舎など日本風の建物が残る。
※●は衣のなべぶたの下に非
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2017022502000260.html