韓国の近代古建築

…となると、必然的に植民地時代のものが多く含まれることになるわけで。だからといって、そこに刻まれた近代の歴史や人々の人生まで一緒に廃棄してしまってよいものか。

観光資源化というのは、そうしたものの保存のために、とりあえず使えるロジックですね。

それにしても、あのユンウネさんがそんな活動を…*1

「植民地時代の建物 観光資源に」 老朽化・取り壊しに危機感 旧日本人街を案内する尹さん
2015年09月28日 10時55分


日本の商店街の雰囲気が残る干物市場。右手前の建物が福島商店だった


船をモチーフにした釜山地方気象庁。1934年に建てられた西洋式建築で、事前に申し込めば敷地内を見学できる

●「忌まわしい歴史の批判あるがお互いを理解する手段として」

 釜山市の東西大日本語非常勤講師、尹恩慧(ユンウネ)さん(34)が、日本の植民地時代に造られた建物を、観光客に紹介する活動に取り組んでいる。「ダークツーリズム」の観光コースとして案内しているが、認知度はいまひとつ。老朽化した建物の取り壊しも増えており、危機感を募らせている。 (釜山・中野雄策)

 日本人観光客に人気のチャガルチ市場に近い干物市場。細長い路地の両端に、日本風の建物が並ぶ。植民地時代は日本人の商店街で、建物は主に1階が店舗、2階以上が住居だったという。尹さんは「日本人が引き揚げた後、韓国人がそのまま使った。これだけ日本の建物が集まっている地域は珍しい」と話す。

 その中でも、規模が大きかったのが船具を扱う福島商店。韓国の刑務所で漁網を大量生産し、富を築いたという。当時のままの木造の建物で乾物店を営む女性(57)は「補修を繰り返してきたけれど、建て替えが決まった。残念だが、しょうがない」と語る。

 東西大によると、漁村だった釜山は日本の大陸進出の足がかりになり、日本人約5万人が住む一大居住地だった。特にチャガルチ市場や南浦洞(ナンポドン)周辺は、百貨店や商店、映画館など、近代的な建物が並ぶ日本人の繁華街として栄えた。

 尹さんは2011年、植民地時代に釜山に住んでいた日本人を、思い出の地に案内するツアーを企画。資料で当時の建物を調べ、現地を訪ねた。日本家屋やレンガ造りの西洋式建築、アパート…。そのままの状態で韓国人が使っていた。

 「これほど多くの建物が、韓国社会になじんでいることに、びっくりした」と尹さんは振り返る。

 ツアーは消息が分かる日本人が少なかったため断念したが、「ダークツーリズム」の考え方を取り入れ、主要な町並みや建物を約30件網羅して、両国の歴史を学ぶコースを作った。12年10月からホームページで観光案内を受け付けているが、関心は低く、案内は約50回にとどまるという。

 尹さんの活動は「植民地時代の忌まわしい建物は取り壊すべきだ」「負の歴史を観光資源にするのはおかしい」と、韓国内で批判を受けることもある。過去には市が指定する文化財の建物が道路拡張に伴って取り壊され、今も歴史的建物が次々と姿を消しているという。

 尹さんは言う。「韓国人も日本人も建物を見て、植民地の歴史を肌で感じてほしい。支配、被支配にこだわるのではない。お互いを理解するための、一つの手段として残してほしい」

    ×      ×

●ワードBOX=ダークツーリズム

 戦争や災害、事件などの現場をあえて訪れ、過去から教訓を学ぶための観光で、レジャーや買い物を楽しむ観光とは異なる。1990年代に英国人学者が提唱した概念で、欧米ではよく知られるが、韓国や日本ではあまり普及していない。近年、福島第1原発事故の被災地を対象とする動きもある。

=2015/09/28付 西日本新聞朝刊=

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/article/197823

ただまあ、韓国でこうした「遺産」を観光資源化するとなると、かなりの確率でガッカリさせられることになるんですよねえ。それはそれでまた、心配なんですよ。

韓国古建築散歩 - 九龍浦・旧日本人街 その1

釜山や浦項以外にも、群山が今こんな感じですね。4年ほど前に群山を訪れた時には、海沿いにある植民地時代の建築群は改修補修直前の状態でした。今はほぼ整備事業が完成している様子です。

群山の旧日本人街観光事業化をめぐって

【群山の風景】群山商業高等学校

*1:たぶん、どこかで何か勘違いがあります。