承前・さくらんぼと死の哲学

あなたは、どこにいるのだろう。

おそらく、今ここにいるわけではないはずだ。つながっていないから「つながってたい」のだ。隣にいないから「抱き合ってたい」のだ。

不在のあなたとあたし。愛し合う二人の、その遠い未来を予想するなら、「いつの時も隣どおし」。

遠い未来?どれくらい遠い未来?愛し合う二人の予想は、どこまで届くだろう?

ほら、「思いがけなく歴史はさらに深い」ことに気付くはずだ。

だから、愛を考えることは死を考えることであり、大塚愛を考えることは死の哲学を考えることだというのだ。