giveの前にgivenがある。

日頃から愛読している浅羽祐樹氏のブログにこういう記事があった。

Give5乗と相互主義

勝間和代さん(ブログはこちら)はGive & TakeではなくGive5乗(Give & Give & Give & Give & Give)を主張している。Giveをすればするほど情報が集まり結果としてTakeになり、むしろリターンが大きくなるという。
(中略)
勝間さんが実践している(という)個人レベルと国家の政策ではそもそもレベルが異なるので一概には何とも言いがたいが、Give5乗にしたって、結果的にTakeしているはずで、だからこそむしろ逆に先取りして積極的にGive5乗を選択しているはずだ。要は、単にtakeするだけではなくリターンを大きくするために取るべき手段としてGiveよりもGive5乗の方が有効だというのにすぎない。その意味で、Give5乗は先に大量にgiveすることでむしろ後で大量にtakeしようとする拡散型相互主義の変型と言える。giveとtakeの対称性はここでも措定されていないが、ここではtakeの方が上回るという計算がある。そこは決して語られないので、その分はるかに巧妙である。とにかく、国家間でも個人間でも、普通は、タダ飯なんてものはありえない(No Free Lunch)、ということなのだろう。

政治学には疎いので国家の政策云々はよくわからないが、少なくとも個人レベルに関する限り、気になるのは、〈give&take〉にしても〈give5乗〉にしても、「自分のgiveから始まる」点については変わるところがない、ということである。
人とは、この世に生まれた時点ですでに「与えられた」存在なのではないか。だからこそ人は、後に「与える」存在になるのではないか。
あえて言うならば、〈take&give〉だろうか。何にせよ、他者に一方的に与える立場であり得ると想像するのは、人のあり方としていささか傲慢ではないかと、思わないでもないのである。