安秉直インタビュー

安秉直・ソウル大学校名誉教授と言えば、韓国の「ニューライト」を考えるにあたって決して外せない人物である。
なんで今年1月9日のインタビューが今ごろ出てくるのかはよくわからないが、韓国保守の現況を知るにはたいへん貴重な証言だと思われる。

記事入力 : 2009/06/22 14:03:45
ニューライトの名付け親、「時代精神」安理事長
2009年韓国の模索

 「李明博(イ・ミョンバク)政権に対し、危機感を覚える。権力の中心がないため野党ときちんと交渉する能力がなく、国民統合も果たせずにいる」

 社団法人「時代精神」の安秉直(アン・ビョンジク)理事長(73)の表情は暗かった。「ニューライト運動の名付け親」として李明博政権樹立の中心的役割を果たした安理事長だが、懸念が多いようだった。「保守の革新」を掲げ左派寄りの政権に立ち向かうために発足したニューライト運動も、政権交代以降は立ち位置が揺らいでいる。内部からも「ニューライトはあまりにも政治化、権力化した。ニューライトは終わった」という声が出ている。同じ保守陣営内でも、近・現代史教科書問題や民族主義歴史観をめぐり衝突している。安理事長に今年1月9日、インタビューを行った。

◆「ニューライト権力化の話、批判されるだけのことはある」

李明博政権発足後、ニューライト運動が権力化したという指摘が出ている。政権を手助けするばかりで、批判的役割をほとんど果たしていないようだ。

 「そのように誤解されるだけの素地はある。李明博政権と保守系市民団体は、基本的に理念や政策方向を同じとしているからだ。しかし政権と市民団体は立場が異なるため、独立して活動しつつ、必要ならば政府も強力に批判しなければならない」

−ニューライトが政府をどのように批判してきたか、思い出せない。

 「昨年10月に進歩と保守の共生を模索するセミナーを開き、その内容を『時代精神』特集に掲載した。そこで、李明博政権が韓国の国民統合を果たせずにいる現実を強く批判した。ハンナラ党内部もきちんと掌握できないままで、野党とどのように妥協を導き出すつもりなのか。“高所嶺(高麗大、所望教会、嶺南〈慶尚南・北道〉出身者の意)、江不者(ソウル江南地区の不動産取引で稼いだ人の意)政府”という言葉が出るくらい、李明博政権の人物が国民統合を害するほど不公平な点についても批判した」

−李承晩(イ・スンマン)元大統領は社会主義者だった曹奉岩(チョ・ボンアム)を農林部長官に起用、農地改革という重大な課題を任せたが、李明博政権はなぜそのような人材を起用しないのか。

 「李承晩元大統領は長い間米国で活動したため、自由民主主義に対する理解が大きかった。曹奉岩長官の下で次官を務めたカン・ジョンテク氏も、東京大学農学部で助手を務めた人物だが、社会主義的傾向が強かった。制憲憲法自由民主主義と社会民主主義の要素を大いに含んでいる」

−2007年にハンナラ党汝矣島研究所の理事長を務めたのも、ニューライトの政治化に影響を与えた。

 「非難される素地があることは認める。しかし、政権や政党の利益のためではなかった。当時理事長を務めたのは、ニューライトの目標が政権交代だったからだ」

http://www.chosunonline.com/news/20090622000045

◆「大韓民国を認めない進歩、自由主義を留保してきた保守」

−ニューライトだけでなく、保守・進歩を問わず知識人の役割が以前ほどではなくなっているようだ。

 「進歩的知識人は、韓国社会が進む方向を明確に提示できずにいる。大韓民国民主化と産業化を通じ、先進国並みの社会となったが、こうした現実を受け入れず否定的な視点で見るため、代案がない。大韓民国の正当性を積極的に評価せず、回避する。これではどんな展望があるといえるだろうか」

保守系知識人も、同じようだが。

 「保守の自由民主主義は、反省すべきところが多い。権威主義と独裁、反共体制の下で自由民主主義を留保してきた。国民の一部を排除しなかっただろうか。保守陣営で新たに実現する民主主義は、そうした限界を克服しなければならない。韓国は経済発展と民主化を達成し、高度に発展した自由民主主義社会となった。政治理念としては、自由民主主義と社会民主主義共存できると見ている。大韓民国憲法体制を認める合法的土台の上で、両陣営が競争する社会を作ろう、ということだ」

◆「今日の大韓民国を作ったのは1948年の建国」

−2008年に建国60周年の記念行事を終えた一方で、1919年の上海臨時政府樹立を建国の基点とすべきだ、という批判も提起された。ニューライトは1948年の大韓民国政府樹立を高く評価しているが、上海臨時政府についてはどう見るか。

 「1948年の建国の意味は極めて大きい。新憲法は、当時先進国が実現していた最も進歩した市場経済体制をすべて取り入れた。私有財産制度と自由競争、民主主義…。それ以前に、こうした憲法体制を築くだけの土台はまるで存在しなかった。事実上、無から有を創造したわけだ。ここで大韓民国が発展する土台を固めたことから、48年が大韓民国史上有する意味は、計り知れない。大韓民国が上海臨時政府の独立精神を継承したという点は認めるが、臨時政府が完全な国家だったかについては、異見の余地がある。国家の構成要素は主権・領土・国民だが、19年の段階でこうしたものがあっただろうか。上海臨時政府は少数の独立運動団体であって、それ自体が国家ではなかった。こうした点から判断すると、大韓民国を建設したのは48年だった」

http://www.chosunonline.com/news/20090622000046

◆「わたしを親米・親日派と非難するが…」

−上海臨時政府の意義への評価があまりにも低いのではないか。保守陣営内の対立を呼び起こしかねない。

 「独立運動を行った人物だけが大韓民国の正当性を備えているわけではない。不幸にも、1948年の建国は独立運動によってのみ達成されたものではなく、自由主義陣営がファシズム陣営と戦い、勝利したからこそ可能だった。独立運動が48年の建国の唯一のきっかけだったと言うのなら、歴史的事実に反することになる。大韓民国を建国する際、独立運動を行っていた人々だけが中心になったのではない。植民地内で教育を受け、知識と能力を蓄積した人々が参加した。植民地が近代国家を形成しようとするなら、独立精神だけを持って成し遂げるのではない。それを支えることのできる専門性が伴なわなければならない。李承晩元大統領は、民族の反逆者を排除し、親日派まで起用し建国した。そのため左派は、大韓民国の正当性は疑わしいと主張する。大韓民国建国の国際的契機を理解できないがゆえに、そういうことを言うわけだ。植民地を経験した国で国家を形成する際には、自主路線だけではなく、国際協力路線を歩まなければならない。韓国の場合、韓米同盟が決定的に重要だった。軍事・安全保障分野での米国の協力なくしては、どうして韓国を守ることができるだろうか。産業化も、外国との技術・資本・制度的協力なしに可能だっただろうか。大韓民国の発展は自主・自生的発展過程ではなく、先進国に追いつく“キャッチアップ”過程だった。このように説明すると、わたしを親米・親日派だと非難する。進歩的知識人は、韓国の歴史が歩んできた過程を全く理解せずにいる。イギリスのような先進資本主義国家ではなく、ドイツ・日本・イタリアといった後発の諸国は、産業革命はあったが市民革命はなかった。韓国よりもさらにひどいファシズムを経験した。韓国では市民革命も産業革命もなく、先進国に追いつくキャッチアップを通じ、ここまでやって来た。これが韓国の歴史だ。スカルノインドネシアの元大統領)やネルー(インドの元首相)は皆失敗したではないか」

−外国の土地で数十年間苦労を重ね独立闘争を繰り広げた臨時政府を、そのように評価するのは厳しい。

 「上海臨時政府は韓国の独立運動の主流ではあったが、米国の李承晩を中心とする外交活動、満州社会主義武装闘争もあったではないか。臨時政府だけが独立運動を独占するのは難しい。上海臨時政府の独立精神を受け継いだことは否定しないが、その時に大韓民国が誕生したと言うことはできない。そうなれば、1948年の歴史的意味が小さくなる」

 安理事長は、「研究者は事実が生命だ。事実と異なる話をするならば、学問をやめなければならない」と語った。

http://www.chosunonline.com/news/20090622000047

◆「わたしを見て、日帝時代を美化していると言うが…」

−ニューライトの歴史観は、既存の民族主義歴史観と衝突する部分が多い。日帝時代の経済成長や資本主義発展など世界レベルでの契機を強調しつつ、韓半島朝鮮半島)内部で繰り広げられた対立や矛盾を重視しない。

 「ニューライトには日帝時代に対する研究能力がなく、落星垈経済研究所について話しているようだが…。進歩が保守を非難するために、保守団体は日帝時代を美化しているという。保守は日帝時代について語らない。落星垈研究所では、日帝時代になぜ近代的な変化が起こったかと主張したのか。韓国の近代史は、基本的に西洋文物を輸入するキャッチアップ過程だ。それが文明開化運動だった。植民地時代だといっても、文化の開化運動がなかったわけではない。帝国主義国家が植民地を前近代の状況で放置しては、どうして統治できるだろうか。統治の費用が莫大(ばくだい)になる。金融、財政、土地所有制、私有財産制、戸籍制、学校施設、司法制度などをすべて変えた。なぜ変えたのか。植民地社会を発展させなければ、統治費用が莫大になるからだ。植民地統治者の立場からすると、植民地を開発しなければ輸入を確保できない。だから近代化、工業化を指導したのだ。この過程で韓国人が受けた苦痛は、言葉で表すことはできない。ならば、なぜ落星垈研究所は近代的側面だけを明らかにしたのか。日本を称賛するためではなく、キャッチアップする社会の特徴がどのようなものか、低開発国の社会における発展的な側面を研究するためだった」

◆「国史学界は“飯の種”を独占しようとしている」

−解放後の韓国社会が経験した独裁と腐敗、人権弾圧についても、寛大な解釈を行っているようだ。

 「建国後、韓国社会の発展の動力を探ることに焦点を合わせて見ているため、そうなるのだろう。現行の高校近・現代史の教科書は、あまりにも(民衆)運動史中心で記述されている。近代社会は前近代とは異なり、経済が中心となる社会だ。この時代について書こうとすれば、社会科学的に焦点を当てる能力が必要となる。韓国史を専攻する人の中で社会科学的に焦点を当てる能力を持った人は、ほとんどいない。政治・経済を知らない人が近・現代史を書くために、運動史中心で道徳的に判断することしかできない。民族の利益に合うかどうかだけを問う。国史学界は道徳的な判断にはまり込んでいる」

歴史学界からは、代案教科書の執筆陣に歴史を専攻した人物がいない、という批判が出ている。

 「政治、経済、社会、音楽、芸術史、文学史など分野別の歴史は、該当する学科が担当する。飯の種を独占しようというのではないか。政治、経済を知らず近・現代史を書く能力がない、と告白しているならともかく…」

−ニューライトは前政権を「失われた10年」と呼んでいる。こうした評価は正当なのか。

 「そうだ。過去10年の歴史の発展の方向は、道から外れていたと考えている。太陽政策、参与民主主義、反米主義、これらをまとめて言えば自主路線、“民族同士”路線だ。これらは、韓国近・現代史の基本的な発展の方向に逆行する」

http://www.chosunonline.com/news/20090622000048

◆「過去史委員会はそのままにしておくのがいい」

−「失われた10年」という評価は、「過去史清算」を掲げ大韓民国が歩んできた道を否定的に見る前政権の失敗を繰り返すのではないか。

 「わたしは李明博政権が前政権から継承した過去史清算委員会の活動を積極的に後押しすべきだ、と考えている。委員会が最後まで仕事ができるようにし、これが正しい解決策ではない、と悟るようにするのがいいのではないか。どのみち任期が定められているのだから、その時まで待ってやればよいのではないかと思う。今、李明博政権が過去史委員会の活動を中断させれば、再び権力のために過去史清算が霧散した、という論争が起きるだろう」

−ニューライトは、弱者を責めるむごい顔を持っているように感じられる。社会的弱者や庶民のためのプログラムはないのか。

 「わたしは失業者に働く機会を与えることが最も重要な福祉政策だと考えている。成長を通じ、よい働き口を作り出すことが重要だ。もちろん、貧困者や高齢者、子供に対する福祉の恩恵を広めていくことも必要だ。この面では“進歩政権”が寄与した部分がある。しかし、福祉政策はあくまでも補助的な措置だ。西欧の福祉国家は、所得を平等にするのではなく、所得を手にする機会を平等にする方向に政策を変えた。韓国も、教育・職業訓練に投資しなければならない」

◆「李明博政権に危機感を覚える」

李明博政権が以前の政権の失敗を繰り返すかもしれない、という危機感はないか。

 「李明博政権は、盧武鉉ノ・ムヒョン)前政権と同様に混乱の中でさまよっている。政権の支持率が低いのは、政権が国民から孤立していることを意味する。李明博政権の誕生に責任がある人物として、危機感を覚える。大統領が国民統合に乗り出していないからだ。政府は社会統合委員会を作ったというが、委員会だけでできることではない」

■安秉直理事長ってどんな人?

 安秉直理事長(ソウル大名誉教授)は80年代前半まで、「植民地反封建社会論」の立場から韓国経済を批判してきた左派陣営を代表する研究者だった。しかし85年、低開発国は先進国の技術や資本を土台として先進国に追いつける、という「中進資本主義論」と接することで、大韓民国の成長と発展を肯定するようになる。90年代は、ソウル大「民主化のための教授協議会」の初代・第2代会長を務めるなど、批判的知識人として活動した。安理事長の新たな韓国経済史研究は、87年に李大根(イ・デグン)成均館大名誉教授と設立した落星垈経済研究所で本格化した。06年にはニューライト財団を創立、初代理事長に就任。07年から昨年5月まではハンナラ党汝矣島研究所の理事長を務めた。

キム・ギチョル記者

http://www.chosunonline.com/news/20090622000049