そう言えば、サッカー場の写真を見ていてふと思ったのですが。
天然芝のピッチで行なわれるサッカーを、「自然のスポーツ」と言いますかね?
まあ、ゴルフでもいいんですけど。
サッカーのグラウンドやゴルフ場の芝生って、「人工芝ではない」という意味では確かに「天然」芝ですけど、そこに「自然」という形容をかぶせるのは、個人的には違和感があるんですよ。それは、徹底的に人の手が入って、人によって維持管理されているものですから。
ところがですね。世の中にはその手のものが「自然」を称することがあるようでして。
前に行ったソウル市立龍尾里1墓地の「自然葬地」なんですけど、墓地の一角のこんな風に区切られた土地に芝生を敷いて、そこに遺灰をまくわけです。そしてここの場合、すぐ横にある石碑に、遺灰がまかれた人の名前を刻んでいきます。
韓国の「葬墓文化」としては、納骨堂の後にはこれが来るような成り行きなのですが、これを「自然葬」と称するのは、私には不自然なことに見えてなりません。
「芝生葬」ならまだわかります。それだと要するに、「個別の土地区画や個人別の納骨・墓碑建立を排した共同墓地」の整備様式としての形式的分類の一つですから。例えば「樹木葬」も、そうした分類の一つとして理解できます。
でも、それを敢えて「自然葬」と称するときの「自然」って、いったい何なのでしょう?私にはどうもうまく飲み込めません。