実感と同意

日本の人事システムについて (内田樹の研究室)

いつにもまして反響が大きいようですが、内田樹センセに私も深く同意します。

私自身、損なわれ、蝕まれ、凍りつき、潰される感覚を日々背負いながら、いま生きています。

このような経験を、あらゆる人に対して、またあらゆる場面において、なくすことはできないでしょう。けれども、それがシステムとして恒常化され、組織的に長期間にわたって人間をスポイルするようなことは、できるだけなくなる方向へと、世の中が進んでほしいと思います。

若々しい才能は脆く、弱い。
恐怖によって、恫喝によって、不安によって、花開く前に失われてしまう。
だからこそ、それは守らなくてはならない。
いくら手立てを尽くしても守り切れはしないけれど、それでもできるかぎり守らなくてはならない。
私は一教員としてそう思っている。
少年少女の開花可能性をもっとも傷つけるのは「自分の潜在可能性に対する懐疑」である。
そして、この懐疑は、査定され、格付けされ、「勝者には報酬を敗者には処罰を」というセレクションにさらされているうちに、焦燥と不安を栄養分にしてどんどん膨れ上がってゆく。
そういうことはやめてほしい、というのが教育の現場にいる一教師として私の願いである。
私はいまの雇用システムでは、「きわだって優秀な人間がそれにふさわしい格付けを得られない」ことよりも、「ふつうの子どもたちが絶えず査定にさらされることによって組織的に壊されている」ことの危険の方を重く見る。
正直言って、私は日本人がiPadを発明しなくても、YouTubeを発明しなくても、別に構わないし、それをとくに恥じる必要もないと思っている。
それより、ふつうの人たちが等身大の自尊感情を持って暮らせる社会を確保することの方が先決ではないかと思うのである。

http://blog.tatsuru.com/2010/08/06_1028.php