ここ数日で、『朝鮮日報』の特集が日本語版サイトにも掲載されていた。
すべての関連記事をクリップすることはできないので、象徴的な記事のみをクリップするにとどめておく。
記事入力 : 2010/08/07 14:54:09
【記者手帳】心で泣いた「格差社会」取材
【特集】韓国社会から消えゆく「階層上昇のはしご」キム・ヘスクさん(45)=仮名=は、仕事をする気のない夫とけんかをしながら暮らしていたが、7年前に家を出た。
中学生の息子と小学生の娘を育てるため、飲食店で1日12時間働き、1カ月に2回の休みで、月に120万ウォン(約8万8000円)稼ぐ。過労で救急外来に2回運ばれた。無理をしてきたせいか、キムさんは昨年から体調が悪く、仕事ができない。キムさんは薬の袋が積まれた京畿道高陽市の多世帯住宅で、「娘はまだ中学3年だ」と言って涙を浮かべた。大学生の息子(22)は、学費を工面できず休学している。
「崩壊する人生の階段」をテーマに企画記事を準備しながら、取材陣が決めた原則は、「同情しない」ことだった。「人生のはしご」から脱落した個人の不幸な生き方に焦点を当てるというよりは、努力だけではい上がるのが難しい社会構造を、冷静に分析しようとした。
しかし、何でもないような顔で取材手帳にメモをしながら、自分でも知らないうちに感情がこみ上げてきたりした。貧しい親たちが、「子どもたちに貧困が受け継がれるかと思うとつらい」と話したとき、「くじけそうになっても、子どもたちのためにまた立ち上がる」と話したときがそうだった。京畿道安山市に住む野菜売りのイ・スンミさん(46)=仮名=が、早朝から力強くリヤカーを引く理由について、小学2年の息子のためだと語ったときも同じだった。
感動で鼻の奥がツンとする瞬間もあった。仁川市に住むホームヘルパーのキム・ドクチャさん(52)=仮名=は午前中、80代の基礎生活受給者(生活保護対象者)夫婦の面倒を見た後、隣の地区の高齢女性宅に移動する際、バス代を節約するため、30分以上歩いていく。そして、1カ月間のバス代2万ウォン(約1500円)で、高齢者にゴム手袋やもち、牛肉いためなどを買っていく。キムさんは、日雇いの夫と共働きで3人の子どもを育てた。今はヘルパーを辞め、子どもの面倒を見る仕事を探しているという。
キムさんのように、生涯ぶらぶらしていたわけでもないのに、どんな仕事をしても月100万ウォン(約7万3000円)−200万ウォン(約14万6000円)を稼ぐのに苦労しながら、自分よりも大変な人のためにバス代を節約し、おかずを提供するような人たちが、韓国社会のあちこちにいた。数カ月間の取材を通じて、われわれ取材陣は心の中で何度も泣いた。
金秀恵(キム・スヘ)記者(社会政策部)
記事入力 : 2010/08/08 11:57:02
性的暴行で解任のソウル大教授、現在も研究活動
疑惑が浮上した直後、海外へ逃亡し解任
帰国後に大学へ出入り、研究室もそのまま使用ソウル大のある教授が昨年、性的暴行を加えたという疑惑が浮上し、直後に海外へ逃亡して、教授職も解任されていたことが、最近明らかになった。ところが同大は、この教授の研究室を閉鎖しなかったため、数カ月後に帰国した教授は、最近まで大学へ出入りし、研究活動を続けていたことが分かった。
ソウル大が6日に発表したところによると、昨年4月に工学部のA教授と会った、B女子大の学生Cさんは、「A教授から性的暴行を受けた」として、B女子大の性犯罪相談センターへ届け出た。B女子大がこの事実をソウル大に伝えたところ、A教授は間もなく、大学に出張申請書を提出し、海外へ逃亡した。
ソウル大はA教授に連絡を取り、帰国するよう求めたが、A教授はこれを無視した。Cさんが「無理強いされ、性的暴行を受けた」と主張したのに対し、A教授は大学側に「互いに同意の上で性的関係を持った」と反論したことが分かった。
ソウル大は結局、昨年9月に懲戒委員会を開き、A教授は弁護士を派遣して釈明したが、同委員会は「教育公務員としての品位を維持する義務に反し、無断で勤務地を離れた」という点を挙げ、A教授を解任とする決定を下した。ソウル大の関係者は「懲戒委員会は、性的暴行疑惑に関する双方の主張が食い違っているものの、A教授が事件に関与したこと自体が問題であり、また教授として何ら釈明せずに授業を放り出し出国したことは無責任だと判断し、解任を決めた」と語った。
被害者のCさんは事件直後、A教授を告訴したが、解任が決まった後に帰国したA教授は、検察から不起訴処分を受けた。A教授はその後、教育科学技術部の教員不服審査委員会に「解任の決定は不当だ」として不服申立てを行ったが、最近却下された。
しかし、A教授は解任されてから1年たとうとしている現在も、工学部の自分の研究室や、学内の研究所の研究室をそのまま使用していることが分かった。また、一部の研究プロジェクトにも参加しているという。
研究所の関係者は「A教授は用事があるたびに随時(電話で)連絡し、1カ月に1回程度研究室へ来て、担当している研究プロジェクトに関する仕事をしていると聞いている」と語った。一方、研究所の所長は「研究所にあったA教授の研究室は、すでに閉鎖されたものと思っていた。ほかの教授がどのようなプロジェクトを進めているのかは把握できない」と話した。
だが、この研究所のホームページには、現在もA教授の写真や経歴が掲載され、研究所に所属している教授として紹介されている。さらに、今年4月に米国で行われた国際学術会議や、6月に韓国国内で行われた春季学術大会では、A教授が学生らと共同で執筆した論文が発表され、A教授はその論文に「ソウル大教授」と記載されていた。
ソウル大工学部のある教授は、「教授たちの温情主義のため、研究室を閉鎖できないようだ。また、論文は発表の時点で所属が変わっている場合、注釈を付けて説明しなければならない」と指摘した。なお、本紙はA教授の反論を聞こうと試みたが、連絡が付かなかった。
李碩浩(イ・ソクホ)記者