いや、わかりますけど、たぶん無理

なるほど。私もこないだ行ってきたところですから、言っていることはよくわかりますよ。バランスはそれなりにうまく取ったけれども退屈、と。


記事入力 : 2013/01/13 07:52
【コラム】感動のない大韓民国史博物館

 2005年、ドイツ・ベルリンの真ん中にあるブランデンブルク門の近くに建設されたホロコースト記念館は、観光客が訪れる人気スポットの一つだ。ナチス政権崩壊60周年を迎えた際に建てられたこの記念館は、1万9000平方メートルの野外広場に大人の背丈をはるかに超える灰色の石柱2711個を並べた。観光客が「石柱の森」を歩いて入っていくと、理由も分からないまま収容所のガス室で最期を迎えたユダヤ人たちが感じた不安と恐怖に正面から向き合うことができる。

 記念館の地下展示室では、ゲットーや収容所に連行され、虐殺された600万人のユダヤ人を具体的に見ることができる。真っ暗な中、床にだけ光が入る展示室の一つは、はがきと手紙でいっぱいだった。収容所に向かう列車の中で家族や友人に書いた手紙だ。虐殺されたユダヤ人たちが、収容されるまでどのように暮らし、具体的にどのような人物だったのかを、映像、写真、肉声で見せてくれる展示室もある。最後の展示室は虐殺されたユダヤ人の名前を一人一人呼び、その人についての情報を壁に映し出す「沈黙の部屋」だ。記念館を出るときには、名前も顔も知らない匿名の犠牲者ではなく、誰かの親であり、子どもであり、われわれと同じ血や肉を持った隣人として感じられるようになっている。

 数年前に訪れたベルリンのホロコースト記念館を再び思い出したのは、昨年末に開館した大韓民国歴史博物館のためだ。ソウルの真ん中の光化門前、旧文化観光部庁舎をリニューアルした博物館は、国立中央博物館、国立現代美術館、芸術の殿堂のように、公共交通機関でアクセスしにくい都心のへき地にある公共文化施設と比べると破格の待遇だ。当初、博物館の展示内容をめぐり、韓国現代史の功罪をきちんと扱わなかったり、民主化運動を小さく扱ったりするなど、右寄りであることを懸念する指摘もあったが、4・19革命(1960年4月19日、不正選挙に端を発したデモにより、当時の李承晩〈イ・スンマン〉大統領が下野した事件。4月革命)をはじめとした維新反対運動、1980年の「ソウルの春」、1987年6月の民主化デモなど、民主化運動の足跡もバランスよく扱った。

 しかし、ここで問題なのは、植民地、戦争、貧困を経て「奇跡の歴史」をつくり上げるために血と汗を流した人々が見えず、まるで事件と年表が並んだ教科書をめくるような退屈な展示方法だ。このような展示を通じて、奪われた国を取り戻し、共産軍の南進を防ぐための独立運動家、学徒兵、軍人たちの多くの犠牲、ドイツに派遣された鉱山労働者・看護師や中東の建設現場に出稼ぎに行った労働者など、産業化の礎となった人々、そして民主化運動の過程で犠牲となった人たちの献身を思い浮かべるのは簡単ではない。「敵兵はあまりにたくさんいます。われわれはたった71人です。サンチュで包んだご飯が食べたいです」と書いた中学生の学徒兵の手紙や、キムチを漬けるお金だけを残して、故国の家族に月給の全てを送金したというドイツ派遣の鉱山労働者、看護師の涙ぐましいエピソードは人々の足を引き留めるはずだ。人が見えず、事件を羅列するだけの旧態依然とした展示では、来場者の関心を引くことも、共感を引き出すことも難しい。

 血税448億ウォン(約36億6000万円)を投じて建設した大韓民国歴史博物館を、幼稚園児たちの社会見学コース程度として利用するのでなければ、発想を変えるべきだ。韓国をつくり上げるために献身した「名もない英雄たち」の血と汗に、博物館で出合いたい。

金基哲(キム・ギチョル)文化部次長

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/01/13/2013011300097.html

でもですねえ、そんなものが作れるんなら、独立紀念館でとっくにできてたと思うんですよ私は。

同じ李明博政権下で進められた独立紀念館の改装があの状態ですから、大韓民国歴史博物館に期待しても限度があるというのは、考えてみれば当然のことです。展示をコンパクトに絞り込んだ点では、独立紀念館との差異化も指摘できるでしょうけど、根本的なところで同工異曲に過ぎないわけで。

独立紀念館よ、どこへ行く…

独立紀念館のラビリンス

そもそも、こういうところで「わかりやすく感動できるストーリー」が語られている状態が「あるべき良い状態」かどうか、と言えば、正直かなり怪しいと思いますしねえ。