高校野球東東京・二松学舎大付の悲願はまたも持ち越し

個人的にも注目していたのですが、40年以上にわたって続く「決勝戦の壁」を突破するという悲願は、今年もまたも持ち越されたということです。

センバツではPL学園と決勝戦を戦って準優勝に輝いた経験もあるのですが、出場経験なしで予選決勝戦10連敗というのは、ちょっと他にはない記録だと思います。2ケタに乗ってきたこの記録、二松学舎大付が勝ち進むたびに、さらに注目されていくことになるかもしれません。

PL学園 1982年(昭和57)春54回

あと一歩で甲子園〜番外編

早く記録が止まることを、期待しています。

【東京】<夏の高校野球>夢切符つかんだ 修徳、東の王者
2013年7月28日


9年ぶり5度目の甲子園出場を決め、マウンドで喜ぶ修徳ナイン=神宮球場

 ノーシードから進撃、修徳が夢舞台への切符をつかむ−。第95回全国高校野球選手権大会の東東京大会は二十七日、神宮球場で決勝戦を行い、修徳が二松学舎大付を13−6で下して、9年ぶり5回目の夏の甲子園行きを決めた。両チーム合わせて30安打の乱打戦だった。二松学舎大付は過去9回決勝に進んだが全て敗れており、「十度目の正直」を狙ったが、最後に突き放されて涙をのんだ。

 修徳は初回、2死三塁から4番山下竜治選手の左中間への二塁打で先制。さらに連続3安打で2点を追加。二回にも二塁打3本と山下選手の三塁打で3点を挙げた。五回から七回までは、二松学舎大付3番手の行方寿幸投手の前に打線が沈黙。しかし八回、1死一、二塁から5番小林滉選手の適時打や敵失などで4点を奪い、試合を決定付けた。

 二松学舎大付は、3−9とリードされた六回、修徳の2番手遊佐和輝投手に連打を浴びせ3点差に迫ったが、反撃はここまで。一回から三回まで毎回満塁としながらも2併殺を喫し、押し出しで2点を挙げるにとどまったのが最後まで響いた。

 ○…一塁側の修徳応援席に陣取った野球部員らの応援団の前には、水がたっぷり入った巨大なバケツ。打線が点を取る度、ひしゃくですくった水を部員らにかけて気合を入れ、ノリをよくする=写真。

 一回裏、いきなりの3点先取でボルテージは一気に上昇。ひしゃくを捨て、バケツを逆さにして水をぶちまけた。応援団長の松本優希君(三年)は「これ以上ないスタート」と興奮。その後、何度も水が飛んだ勝利に、「甲子園では日本一を目指すぞ!」。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20130728/CK2013072802000117.html

高校野球都大会]二松学舎 また届かず
気持ちで勝負 最後まで


行方寿幸選手 (二松学舎大付3年)

 入学以来、野球部の合宿所で、夕食後の2〜3時間、バットを振り続けた。そのかいあって、今大会も打率4割で打線を引っ張ってきた。それが、決勝前夜の就寝直前、監督から「明日、(継投して)お前で行くかも」と言われた。

 公式戦の登板経験はない。練習試合でも、いつだったか、投げた記憶がぼんやりあるだけだ。だが、「重圧がかかる決勝で、球種や球速でなく、気持ちで投げられるのは行方しかいない」。監督はそう考えていた。

 初回、エース大貫純投手(3年)が直球を狙われ、3点を許した時点で出番が来ると腹をくくった。前夜から覚悟していたから、登板しても緊張しなかった。

 「0点の回をつくる」。そう意気込んで、マウンド上で空を見上げた。球速の遅い直球を捨て、カーブとスライダーで勝負し、五回にはこの日初めて、相手を三者凡退に封じた。

 六回、自身で適時打を放った後、2年生打者2人に「気持ちで負けるな」「大きくいけ」と身ぶり手ぶりを交えて声をかけ、適時二塁打犠飛を呼び込んだ。だが、いけると思った七回、足がつった。息が上がった八回、失策で集中がとぎれた瞬間、4点を奪われた。

 一度も夏の甲子園へ行ったことがない学校を自分の力で甲子園に連れて行きたい――。その一心で二松学舎大付を選んだ。その夢が破れ、両手をグラウンドについて泣き崩れた。

 仲間に支えられながら相手チームへあいさつに向かい、修徳の5番・小林滉選手と抱き合った。小学校時代のチームメートに、「優勝してこいよ」と声を絞り出した。(石川千佳)

(2013年7月28日 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20130728-OYT8T00079.htm