6月4日に中国にいるということ

その日だからと言って、何があるというわけではありません。

というか、まったく何もありません。

25年という歳月が風化を進めた側面は、確かにあります。25歳未満の子たちは、事件自体を経験的には知りません。

そして、個人がその持ち場でその件を云々してどうにかなるものではない、という厳然たる現実も、そこにはあります。

さらに、その件がもはや、人々の関心事項としてはるか後景に追いやられていることも、肌で感じられます。そんなことに関与しても、身を立てて生きてはいけないし、少しも儲かりはしないのです。


この状況がこの先どうなっていくかは、私にはわかりません。が、ちょっとやそっとのことで足元がぐらついて引っくり返るような事態が近い将来にあるとは、ちょっと思えません。