朴正煕をめぐって対となる進歩と保守

なるほど。こういう本が8月15日に出ていたんですね。

http://www.kyobobook.co.kr/product/detailViewKor.laf?ejkGb=KOR&mallGb=KOR&barcode=9788957333747

朝鮮日報の紹介を読む限り、最終的な結論はそれほど常識を外れたものではなさそうですが、そこに至るまでの地道な作業をもとにした「朴正煕の政治思想」の考察には、ちょっと興味があります。

記事入力 : 2014/09/07 07:04
「現在の韓国人は朴正煕の政治的遺産の中で生きている」

朴元大統領の政治思想を分析、『韓国現代政治思想と朴正煕』を出版した姜正仁教授
「韓国の経済発展を引っ張った指導者」…同時に独裁・腐敗の責任者
朴正煕よりましな人物が『いた』という答えは出てこない」

 「朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領は、韓国の近代国家としての基盤を固めた政治家だ。現在の韓国人は、望むと望まざるとにかかわらず、朴元大統領が残した政治的遺産の光と影の中で生きている」

 政治学者の姜正仁(カン・ジョンイン)西江大学教授(60)が、朴正煕・元大統領の政治思想を分析した『韓国現代政治思想と朴正煕』(アカネット社)を出版した。同書では、『韓民族の進むべき道』などの著書、5・16(1961年5月16日。朴正熙陸軍少将〈当時〉らによる軍事クーデター)後の演説文などを1次資料として用い、朴元大統領の政治思想を分析した。今月27日に姜教授の研究室を訪れたとき、机の上には朴元大統領の演説文集(全7巻)が積まれていた。大学院の教え子と共に演説文の主な内容を要約してコンピューターに入力したものは、A4用紙1000ページ分にもなった。

「朴元大統領自身が『自分は政治家ではなく行政家』と語り、研究者の多くも、朴元大統領を『実用的かつ行政的な人物』と見ているため、何か政治思想的に研究すべきものがあるのかといわれる。しかし朴元大統領は、イデオロギー面で韓国現代政治の主要な軸となっている自由主義保守主義民族主義、急進主義について明確な立場を持っていた。朴元大統領の立場は、韓国の保守・進歩両陣営に、依然として影響を及ぼしている」

 姜教授が把握した韓国政治の理念的特徴は「非同時性の同時性」と「民族主義の神聖化」だ。「非同時性の同時性」とは、ブルジョア層がきちんと形成されていない状態で自由主義が入り込み、確固たるプロレタリア層がない中で社会主義が入り込み、両者が共存するなど、非西欧社会の理念的特徴を帯びていることを指す。姜教授は「朴元大統領の場合、権威主義的統治を行う一方で、自由民主主義そのものを否定はせず、両者共存という特徴を示している」と語った。また民族主義は、植民地と分断の経験から神聖化されてきたが、朴元大統領は、反共と近代化を掲げる中、民族主義に訴えることで大衆を動員し、統治の正当性を導き出す道具として活用した−と姜教授は説明した。「面白いのは、1970年代末まで、民族主義は朴元大統領をはじめとする右派の論ずるところだったという点。ところが80年代以降、左派陣営が民族主義を掲げ、持っていってしまった」

 朴正煕大統領」は、依然としてホットな話題だ。韓国では長らく「朴元大統領をどう見るか」が、その人物の政治的傾向を測る「リトマス試験紙」になってきた。姜教授は「朴元大統領は、韓国の経済発展を引っ張った指導者であると同時に、独裁や人権弾圧、不正・腐敗の責任者」と述べながらも「朴元大統領が産業化や近代化を引っ張った功績を、左派陣営がきちんと認めないのは問題だと思う。だから、近代化に参加していた方々がさらに反発するのだ」と指摘した。

 経済史学界には「高度成長の過程に不正・腐敗や貧富の格差は必然的に伴う」と語る人が大勢いる。姜教授も率直に認めた。「実際その通りだ。英国や米国も、19世紀の資本蓄積の過程で、韓国よりずっとひどい搾取や腐敗を経験した。それに比べると、韓国はむしろ穏やかな方だったと解釈できる」

 姜教授は「維新体制(1972年10月に非常戒厳令を宣布して行われた軍事独裁体制)」下の1973年にソウル大学法学部に入った。緊急措置で友人たちが捕まり、きちんとしたデモもし難い時代だった。姜氏も、学生運動に没頭していた友人に、プリントを刷る印刷機を貸し、真夜中に連行されて取り調べを受けたことがある。こういう経験が、政治学に専攻を変え、79年にカリフォルニア大学バークリー校(UCB)へ留学する契機となった。朴元大統領は「悪縁」に当たるわけだ。

 しかし現在は「朴元大統領と客観的距離を置くこと」を実践している。本書の末尾には、こんな「告白」がある。「個人的には憎悪の感情が強いが、ここから離れて、60−70年代の韓国の内的・外的状況を『政治的現実主義』の観点から冷静に見詰め、朴元大統領を評価すべきだというのが筆者の意見。(中略)『朴正煕』よりましな政治的代案が可能だったかと自問してみても、前向きな答えはすんなりとは出てこないというのが、研究を重ねるにつれ感じるようになった率直な思いだ。言い換えれば、李承晩(イ・スンマン)、申翼煕(シン・イクヒ)、趙炳玉(チョ・ビョンオク)、ユン・ボソン、張勉(チャン・ミョン)といった当時の政治指導者らが、朴正煕よりましな代案だったかという質問に、自信を持って『そうだ』という答えは出せなかった」

 保守と進歩の限界を批判し「現実に対する学問的距離を置くこと」に尽力してきた姜教授の研究プロセスを見ることで、教授の言葉はさらに重みを増した。

金基哲(キム・ギチョル)記者

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/09/06/2014090600952.html

「朴元大統領をどう見るか」という問いにどう答えるかが、韓国政治においてその人物の政治的傾向を測る「リトマス試験紙」になってきた、というのは、おそらくその通りでしょう。そしてそれは今や、善か悪かという単純な二者択一ではなく、「韓国の経済発展を引っ張った指導者」であり、「独裁や人権弾圧、不正・腐敗の責任者」である朴正煕の「光と影」の両側面の存在を前提として、「それをどう記述するか」が、争点となっているトピックスです。

朝鮮日報による姜正仁教授の主張の要約は、「朴元大統領が産業化や近代化を引っ張った功績を、左派陣営がきちんと認めないのは問題だと思う。だから、近代化に参加していた方々がさらに反発するのだ」となっています。これはおそらく、「朴元大統領が独裁や人権弾圧、不正・腐敗の責任者であることを、右派陣営がきちんと認めないのは問題だと思う。だから、民主化に参加していた方々がさらに反発するのだ」という主張と対になるべきものである、と思われます。

「光」に注目することによって「影」を看過することが許されないことは、朴正煕の「影」のみを捉えて「光」を無視する振る舞いが許されないことと同様です。

そのどちらの立場にも開かれているのが、「客観的な距離を置いた政治的現実主義」のあるべき姿なのでしょう。人間ですからそれぞれ個人的な思いはあるでしょうが、それを研究の前提にしてしまっては、ヒラメやカレイと変わりません。

と同時に、朝鮮日報も含めた読み手の側の読み方も、ここでは問われているんでしょうね。

その意味で気になるのが、左派である「ハンギョレ」の読み方ですが、こちらもこの本の紹介記事を出しています。ただし、日本語には翻訳されていません。朝鮮日報と併せて読む価値のある記事だと思うのですが、手が回らないのでしょうね。

この記事、最後のほうにちょろっとだけハンギョレらしい「苦言」めいたくだりも見られますが、結論としてはその研究の実証性と主張の誠実性を高く評価するものとなっています。朴正煕をめぐるこうした研究を受け入れる程度には、韓国の左右両陣営も「成熟している」と言っていいのかも知れません。

‘박정희 민족주의’ 그 시작과 끝
등록 : 2014.08.31 19:35


<한국 현대 정치사상과 박정희>

한국 현대 정치사상과 박정희
강정인 지음
아카넷·2만원

한국 사회의 보수와 진보 양쪽 모두에 ‘비판적 거리두기’를 해온 강정인 서강대 정치외교학과 교수가 해방 뒤 70년에 걸친 한국 현대정치사상 연구의 결과물을 내놨다. 핵심 개념은 ‘비동시성의 동시성’과 ‘민족주의의 신성화’다.

전자는 서구 자본주의 국가 중심의 ‘세계사적 시간대’와 비서구 후발 자본주의 국가로서 ‘한국사적 시간대’가 빚은 시간차를 가리키는 것으로, ‘문화 지체’와 비슷한 개념이다. 후자는 말 그대로 최고 가치로 숭상되는 민족주의를 뜻한다. 강 교수는 이 두 쟁점으로 한 박정희 분석을 책의 중심에 놓고 정치사상사를 전개한다.<한국 현대 정치사상과 박정희>의 가장 큰 미덕은 방대한 자료조사에 있다. <우리 민족의 나갈 길> <국가와 혁명과 나> 등 박정희의 저술, <박정희 대통령 연설문집> 등 기초자료 수집과 정리에만 3년 정도 시간이 걸렸고, 컴퓨터에 요약해둔 분량만도 1000쪽에 이른다. 제5·6·7·8·9대 대통령을 거치며 한 사람의 재임 기간이 18년에 이르렀으니 당연하다고 할 법하다. 게다가 전두환, 노태우 군부가 있었고 박정희의 딸인 박근혜 대통령까지 “박정희의 유훈통치”가 출몰해왔기에 박정희가 한국 현대정치에 끼친 영향력은 지대하다고 판단한 것이다.

강 교수의 논의를 보면, 뒤늦게 근대국가 건설에 나선 한국은 곧바로 ‘비동시성의 동시성’ 상황에 놓인다. 서구에 견줘 늦어진 시간차 충돌을 겪는 동안 박정희는 ‘민족주의’를 당대 지배이데올로기로 내세운다. 민족주의로 억압적 권위주의 통치를 정당화하는 한편, 국가안보·경제발전(근대화)이라는 목표 추진을 내세워 반공, (한국식) 민주주의, 보수주의 담론을 적극적으로 생산해냈다는 것이다. 이런 박정희 정치사상은 그 뒤 반공과 근대화의 보수 우파 사상으로 자리잡았다고 그는 분석한다.

그러나 강 교수는 1987년 민주화를 거치며 보수 우익의 이념을 대변했던 ‘비동시성의 동시성’은 해소되었고 ‘민족주의의 신성화’ 또한 약화했다고 본다. 박정희 신드롬도 단순히 강력한 리더십에 대한 향수에 가깝고, 반공·안보·경제발전을 명분으로 한 권위주의 체제의 정당화도 이제 사실상 불가능하다고 평가한다. 그럼에도 분단 지속과 유산 때문에 반공주의(반북, 종북논란)는 완강하게 지속되리라고 전망한다.

강 교수는 유신체제 아래 대학 시절을 보낸 탓에 박정희에 대해 “증오의 감정”이 강했지만, 이번 책의 분석에서는 냉정하게 감정적 거리두기를 했다고 밝힌다. 박정희보다 더 나은 정치적 대안이 가능했을까 자문하면, “긍정적인 답변이 선뜻 나오지 않는다”는 것이다.

그의 분석이 기존 근대화론에 머문다는 비판도 나올 법하다. 서구 근대화와 달리 개인의 ‘분화’를 아직도 완성하지 못한 한국적 근대화의 결정적인 한계를 중요하게 다루지 않았기 때문이다. ‘근대화’를 경제성장과 동의어로 개념화한 담론 틀도 고수한다. 하지만 철저한 자료분석, 에두르지 않고 주장을 밝히는 글을 읽다 보면 학자로서 성실성과 선명성을 높이 살 수밖에 없다.

이유진 기자

http://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/653547.html