大統領の評価と銅像と

最近、歴代大統領の評価が一部で云々されているようです。

例えば「東亜日報」のこちら。李承晩をめぐって書かれていますが、一方の立場からもう一方を攻撃するばかりで、「妥協して統合する文化」を作っていくきっかけには程遠いものになっているのは残念です。まあ、想定の範囲内ですけど。

どれが本当の李承晩なのか
SEPTEMBER 28, 2013 03:25

「彼は、韓国独立運動思想の稀に見る知性的な政治家だった。 韓半島をめぐる国際情勢の流れを正確かつ速かに把握する炯眼を備え、解放後の混乱状態の韓国国民にビジョンを提示する…。 」(柳永益・国史編纂委員長内定者の著作『李承晩大統領の再評価』)

「彼は私的な権力欲を満たすために独立運動をし、出世のために手段を選ばなかった。 …米ワシントンポストとのインタビューで、日本の植民支配が韓国を発展させたと発言した」(民族問題研究所の動画「百年戦争」)

李承晩(イ・スンマン)に対する両極端の評価を表す内容だ。 韓国現代史の主要な人物を批判した進歩陣営の「百年戦争」に続き、保守陣営が作った教学社の教科書をめぐって、左・右の歴史戦争が起こっている。 史実をもとにした討論は皆無で、非理性的な言語と行動による闘争が起こっている。

進歩陣営は、教学社の教科書が李承晩、朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領らの業績を長く描写したと言って、「親日独裁美化」だとし、検定を取り消すことを求める。 しかし、北朝鮮国連が監督する総選挙ができず、事実上、ソ連金日成(キム・イルソン)政府を作る過程で、韓半島の南だけでも大韓民国を建国したことは、国際政治を見る李承晩元大統領の見識によるところが大きい。 韓国が最貧国から世界12位圏の経済大国に発展し、民主化を成し遂げたことも、民主主義と地方自治言論の自由に基づいて韓国を共産主義の脅威から守った李元大統領の功績だ。 李元大統領をまるで分断の元凶であり、独裁がすべてのように評価することは、建国大統領に対する妥当な扱いではない。

この教科書を執筆した李明熙(イ・ミョンヒ)公州(コンジュ)大学教授が、「左派陣営が、教育、言論、芸術、出版、学界の60〜90%を掌握している。 現在の状況が続けば、10年内に韓国社会は構造的に転覆するかもしれない」と言ったことも共感し難い。 進歩陣営がすべて体制を否定する従北勢力とは言えず、韓国社会が体制否定勢力によって崩れるほど虚弱でもない。

日本による植民地支配期に抗日武装闘争を行なった独立活動家の中に社会主義勢力が多かった。 だからと言って、武装闘争よりも外交や実力養成路線が現実的だったという保守陣営の一部の解釈にも同意し難い。 李舜臣将軍は、12隻の船で10倍を超える倭軍を退けた。 韓国は弱小民族だから、大国に寄り添って独立するほかないといった弁解こそ、自虐的敗北主義だ。 解放後、共産主義と闘うからと親日清算を十分にできなかったことも、誤りと記録するべきであり、「仕方なかった」とやり過ごすことではない。

教学社を除く7種の教科書は、韓国の独裁政権を批判しながら、共産主義の実状に対しては特に言及せず、生徒の認識を歪める恐れがある。 企業に対しても、政経癒着、不正腐敗といった否定的な描写が多い。 経済人の創意的な努力がなかったなら、「漢江(ハンガン)の奇跡」はなかった。 青少年の企業家精神を養うためにも、修正が望ましい。

現代史の研究者が努力すれば、左・右を統合した教科書を作ることができるだろう。 歴史解釈は学者によって違うため、新しい史料が発掘される度に、論争が起こるのは当然だ。 しかし、将来世代に教える教科書だけは、合理的な水準で共通分母を求めることが望ましい。 合意に至らない部分は、両者の見解を記述すればいいだろう。

韓国社会で、一部の知識人は、社会統合を導くどころか、我執と独善で分裂と葛藤を助長してきた。 恥ずかしいことだ。 体制と文化が異なる韓国と北朝鮮が、平和的統一を成し遂げるには、韓国国内から妥協して統合する文化を作っていかなければならない。

http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2013092899798

「どれが本当の」と言われましても、「どれも〈本当の李承晩〉の一面やったのとちゃうのん?」と思うのですよ。

こんな銅像を南山に建て、そして引き倒された。どちらも間違いなく、李承晩にまつわる事実でしょう。



同じく李承晩について言及している「朝鮮日報」のこちらのコラムは、もう少しひねりが利いています。

記事入力 : 2013/09/29 07:55
【コラム】韓国の大統領の評価をゆがめたのは誰か

 独立運動の同志だった金九(キム・グ)、李承晩(イ・スンマン)、李始栄(イ・シヨン)の銅像は、現在全て「南山」にある。とはいえ、同じ「南山」ではない。金九・臨時政府主席、李始栄・韓国初代副大統領の銅像は、素月路と小波路の間にある南山公園に立っている。一方、李承晩・元大統領の銅像は奬忠壇路の自由総連盟広場にある。両者の距離は車で4キロ、タクシーなら4000ウォン(約370円)ほどだ。

 もともと李・元大統領の銅像は、李承晩大統領第80回誕辰慶祝中央委員会が「2万人が1カ月食べていける40万ドル(現在のレートで約3930万円)以上」(当時の金泳三〈キム・ヨンサム〉議員の主張)を投じ、1956年に建立した。場所は、現在の南山噴水台の位置に当たる。4年後の1960年に4・19革命(不正選挙に端を発したデモにより、李承晩大統領が下野した事件)が起こると、デモ隊は市内のあちこちにあった銅像を倒し、この銅像も7月に撤去が正式に決定された。

 金・元主席と李・元大統領の銅像の距離はわずか4キロだが、平均的な韓国人が2人に抱く認識の差は、その100倍くらいあるだろう。片方は民族の指導者、もう片方は追放された大統領。朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の銅像は、南山近辺に建立することさえできなかった。まさにここで、右派は語る。「左派が格下げした李承晩と朴正煕の像をきちんと建てるべきだ」

 では「李承晩・朴正煕大統領の評価がゆがめられた」としよう。その歪曲(わいきょく)の「元祖」は誰だったのだろう。本当に「左翼のアカ」が始まりだったのか。

 子どものころ、こんな話を聞いた。「景武台(韓国大統領府。現在の青瓦台)でくみ取りをする人まで威張っていた」「李起鵬(イ・ギブン)元国防部長官と李康石(イ・ガンソク)氏(李・元国防長官の実子で李元大統領の養子)が国を操り、事情を知らない李承晩大統領はロボットだった」。1970年代にこんな話をしていたのは、「左派」ではなく、朴正煕大統領の忠実な支持者だった。5・16クーデター(1961年5月16日に起きた朴正熙陸軍少将〈当時〉らによる軍事クーデター)を支持する人々にとって、前政権は無能と腐敗にまみれた存在だった。

 李・元大統領の銅像が消えた南山に金九主席と李始栄副大統領の銅像を立てたのは、朴正煕政権の「愛国先烈彫像建立委員会」。66年のことだった。「日本の陸軍士官学校出身で元左翼」という前歴を過度に気にした人間・朴正煕のコンプレックスが根底にある、と解釈する人は少なくない。

 李承晩大統領は李氏朝鮮を嫌い、それゆえ日本に滞在していた英親王(朝鮮王朝最後の皇太子)の帰国も妨げた。これは知っている人にはおなじみの話だ。その李承晩大統領を、朴正煕大統領がどれほど軽蔑したかも知っている。李大統領が韓国ではなく亡命先のハワイで息を引き取った理由は「朴大統領が帰国に反対したから」、というのが定説に近い。軍事政変を起こした全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領が、朴大統領と同類に見られるのを嫌がったということも、よく知られている。さらには、朴大統領の側近を、いかにして「不正蓄財者」に分類し、辱めたかということも。

 「アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブをもうけ、ヤコブはユダとその兄弟たちを」と記すマタイ福音書にならって、韓国の歴代大統領の関係を見ることができるだろう。「英親王を李承晩がたたき、李承晩を朴正煕がたたき、朴正煕を全斗煥がたたき…」。失礼ながら、こうした「復讐(ふくしゅう)血戦」の系譜をたどることはたやすい。与党同士でもこうだったのだから、野党が国権を握ったときはなおさらだった。

 李承晩氏は英親王に無能な王朝のみを、朴正煕氏は李承晩氏に貪欲さのみを、全斗煥氏は朴正煕氏に権力のみを見いだした。「見たいもの」の誘惑に負け「併せて見るべきもの」から目を背けた。列強の競争の中でどうしようもなかった半島の運命を、自由民主主義国の土台を築いた人物は誰なのかを、豊かな暮らしの種に水を注いだ大統領は誰なのかを、消してしまおうとした。

 韓国の歴代大統領に対し意地の悪いところを見せたのは、ほかならぬ韓国の大統領だった。ある意味、左派はその状況を利用したわけだ。もう少し正直になろう。本当にきちんと歴史を記すためには、単に「左派」を攻撃するだけでいいのか。右派内部の反省は必要ないのだろうか。

朴垠柱(パク・ウンジュ)文化部長

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/09/29/2013092900141.html

ああそうか、こちらの銅像南山公園ではなかったんですね。奬忠壇路と言えば、地下鉄駅だと東大入口駅に近いですし、道理で見かけなかったはずです。

光化門広場の世宗大王像・李舜臣像と、李承晩像南山建立のニュース

한국자유총연맹, 이승만 전 대통령 동상 제막식
입력 2011-08-25 18:53:12 수정 2011-08-25 18:53:12


한국자유총연맹이 25일 서울 중구 장충동 남산에 위치한 자유총연맹 광장에서 이승만 전 대통령 동상 제막식을 열었다. 높이 3m 폭 1.5m 크기의 청동으로 만든 이 동상은 이 전 대통령이 양복 차림으로 왼손에는 헌법전을 들고 오른손으로는 국민에게 인사하는 모습을 나타내고 있다.

/ 강은구 기자

http://www.hankyung.com/news/app/newsview.php?aid=2011082535537

しばらく見ないうちに、南山公園も随分と様変わりしています。

けだるさとともに

南山公園から孝昌公園まで歩く

安重根義士記念館の脇を抜けて、件の銅像のほうへ歩いて行く道からもう、明らかに違っています。




銅像となったお二人も、長年見慣れてきた風景がずいぶん変わったことに驚いていることでしょう。



で、その視線の先に見える歩道のようなものの正体は、これです。


李明博政権の時代から再建が進められていた城郭は、今こんな風になっているんですね。少し遠回りになりますけど、南山公園からソウル駅方面へは、この城郭に沿って降りていくことができます。