時期としては、KARASIA福岡ツアーの時の記録になります。2日目のライブ前の一仕事ですね。
天神南駅から地下鉄七隈線に乗って六本松駅で降ります。地上に上がると、そこには九州大学六本松地区、かつての教養部、さらに言えば旧制福岡高等学校の跡地が広がっています。
福岡高等学校は、ナンバースクールの第五高等学校(熊本)・第七高等学校造士館(鹿児島)と佐賀高等学校に次ぐ、九州で4番目に開校した旧制高等学校でした。まあ今のこの跡地には、見る影もありませんが。
ただ、六本松に来た目的はここではありません。その裏手になります。
「谷公園」と看板に書いてありますが、ここがすなわち福岡陸軍墓地となります。
西側の公園入口から幅の広い階段を昇っていくと、その先の高台に墓碑が並んでいるのが見えてきます。説明の石碑を読めば、日清戦争以来の軍人墓地だったこの場所は、昭和10(1935)年に大規模な改修が行われているようです。1921年創立の福岡高等学校の学生も、そのような工事の光景を見ていたことでしょう。
時期的なことを考えれば、改修前には個人墓が多数並んでいたと推察されるのですが、現在は敷地の一隅に少数の個人墓が残るものの、中心部に巨大な合葬墓や慰霊碑が立ち並んでいるのが目を惹きます。
詳しい配置や歴史的経緯については、下記のサイトを参照してもらった方がよいかと思います。
現在は改修や修復を経て整備されていますが、かつては放置状態であったり、2005年の福岡県西方沖地震で被害を受けたり、といったこともあったようです。もっぱら民間有志によって維持管理、更には地震被害の修復なども行なわれてきています。そのあたりのことは、過去に何度か新聞報道があったのをクリップしています。
現地で見てみると、向かって右端にあるこの墓碑に、有志事業の経緯の記載が集約されています。
この墓碑そのものは昭和57(1982)年建立ですが、この並びの墓碑の多くは昭和戦前期に相次いで建てられたものです。建立年が皇紀で記されているこれらの石碑の多くも地震で被害を受け、修復工事がされています。
これらの背後、敷地の左奥に、比較的新しい慰霊碑と、おそらく昭和戦前期の改修以前からそこにあったものの一部と思われる個人墓が並んでいます。
そんなに不便な場所にあるわけでもなく、公園としても機能しているこの場所は、そこに見られる関係者有志の尽力もあって、当分の間は埋もれることなく、この姿を保ち続けるものと思われます。
2015.10.26 07:08更新
遺族ら200人冥福祈る 福岡陸軍墓地で慰霊祭明治維新以降、先の大戦までの福岡県出身戦没者らを追悼する慰霊祭が25日、福岡陸軍墓地(福岡市中央区谷)で営まれた。社団法人「福岡県郷友連盟」(吉田邦雄会長)が主催し、遺族や関係者ら約200人が参列した。
同墓地には「支那事変」や「大東亜戦争」など、主な戦いや激戦地名が刻まれた石碑が建立され、戦没者1万6千余柱が祭られている。個別の墓碑の慰霊祭とは別に、毎年10月、同連盟主催の慰霊祭が続けられている。
慰霊祭では、吉田氏が「戦後の経済的繁栄は、英霊のみなさまの貴い犠牲のもとに成り立っています。ただ、教育の荒廃などにより、日本人としての誇りなどは失われつつあります。それらを取り戻そうとするわれわれの活動に、英霊のみなさまのご加護をたまわりたい」と語った。
また、参列者が君が代や「飛行第64戦隊歌(加藤隼戦闘隊)」などを献歌し、玉ぐしをささげて戦没者の冥福を祈った。
http://www.sankei.com/region/news/151026/rgn1510260024-n1.html
追記:個々の碑についてはほとんど紹介していませんが、その点については上で紹介したサイトの他、例えばこちらなどをご参照ください。