【横浜の風景】滋賀県の飛び地:桜木町と掃部山

桜木町駅は、個人的に思い入れの深いところです。

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初めて横浜に来たときの初めての待ち合わせ場所が、東急東横線桜木町駅でした。その頃からは大きく姿を変えていますけど、その駅名は悶々としていた当時の思いを呼び覚ましてくれます。

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かくして、滋賀県生まれの山崎まさよしのほろ苦い名曲を口ずさみながら、それに似つかわしくない晴天のもと、少し移動します。けっこうな坂道を上らないといけません。

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掃部山が何故に掃部山と呼ばれているかというと、これですね。

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掃部山公園 - Wikipedia

この銅像の存在を知ったのは最近です。

そこが桜の名所だと知ったのは、さらに最近のことです。

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ま、それはともかく、これは思った以上にでっかいですねえ。台座の上の銅像が戦時中の金属供出によって失われた後、戦後再建されたというのは、敦賀の大和田荘七像などと同じです。

【敦賀の風景】旧大和田銀行本店 - 大塚愛と死の哲学

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それにしてもこの銅像、もちろんまずは正面から撮るわけですが、それ以上に背後からの構図を狙いたくなります。

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確かに、井伊直弼がいなければ横浜開港もなかったかもしれないわけで、横浜にその銅像があるというのは故あってのことだとわかります。とはいえ、そのことを今の横浜市民がどこまで日常で身近に感じているかと言えば…どうなんでしょう。

差し当たり、横浜市西区と彦根市との交流関係は、それなりに蓄積があるみたいですね。

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西区の友好交流都市、彦根市! : 横浜市西区ホームページ