【福山の風景】備後護国神社・その1:参道と社殿

広島県内の護国神社として名前が挙がるのは、まずは正月には初詣客でにぎわうことで知られる広島護国神社でしょうが、県西部の旧安芸国に対して、旧備後国である県東部の中心地・福山には、それとは別の護国神社があります*1

それが、福山城内にある備後護国神社です。福山藩の招魂社に端を発し、戦前は昭和14年の内務大臣指定も受けて「福山護国神社」と呼ばれていたそうです。

備後護国神社 - Wikipedia
備後護国神社 戦前と現在の御朱印 | 古今御朱印覚え書
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戦前に鎮座していたのは現在の場所とは別の場所で、戦後、福山藩主ゆかりの阿部神社と合祀することによって、この地に落ち着くことになったという経緯があります。護国神社があちこち移転したケースとしては、鳥取も名前が挙がります。

【鳥取の風景】鳥取県護国神社・前編:参道まで - 大塚愛と死の哲学

私が訪れた時には、福山城天守閣の博物館の方からアクセスしたので、南側から足を踏み入れました。

比較的こじんまりとしたこちらには、ぱっと見では「阿部神社」の名前のみが見えます。

ただ、よく見ると、由緒書きの掲示や額には「備後護国神社」とあります。


こちらから石段を登ると、神社の社殿に行き着きます。



ただ、その建物は西を向いていて、そちら側に目を向けてみれば、備後護国神社の本来の参道は西から付けられているのを知ることになります。




うん、南の阿部神社側をみていた時には少し「ん?」と思ったのですが、こちら側を見れば、広島県の東半分を担う護国神社にふさわしい姿であると言えましょう。尾道護国神社とは色んな意味でずいぶん違います。

*1:兵庫県に神戸護国神社と姫路護国神社があるようなものです。