この記事だけを見ると唐突に見えますが、これには背景があります。
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
人体実験の疑いを説明する「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」の西山事務局長ら(京都市左京区・京都大)ペストを投与した人体実験の疑いがある論文を執筆した旧関東軍731部隊の将校に京都大が医学博士号を授与したとして、池内了名古屋大名誉教授らが「満州第731部隊軍医将校の学位授与の検証を京大に求める会」を設立、2日に京大で記者会見し、検証の必要性や学位の取り消しをアピールした。
旧満州で細菌兵器を研究し、捕虜らに人体実験をしたとされる旧731部隊には、部隊長の石井四郎中将を始め京大医学部出身者が所属していた。京大は約20人の731部隊関係者に学位を授与しているという。731部隊の問題で、大学に対し学位撤回を求める運動は全国で初。
問題になっている論文は、京大医学部出身の平澤正欣軍医少佐(1945年戦死)による「イヌノミのペスト媒介能力に就(つい)て」。
検証を求める会事務局長の西山勝夫滋賀医科大名誉教授は「特殊実験で用いられた実験動物は人間だった疑いが強い。人体実験が事実なら論文はねつ造であり非人道的だ。京大はヒトだったか検証する義務がある」と指摘。今の科学で論文の妥当性を検証すべきとした。
会は検証を求める署名を集めており、7月にも京大学長や医学部長に検証を要請するという。
■14日に記念講演
検証を求める会は14日午後1時から、京都市左京区の京都大百周年時計台記念館で、設立を記念する講演会「研究者が戦争に協力する時 731部隊の生体実験をめぐって」を開く。
「医学者たちの組織犯罪」などの著書がある常石敬一・神奈川大名誉教授が、「過去から学ぶ『軍学共同』の行きつく先」をテーマに講演する。無料。
【 2018年04月02日 23時34分 】
京都新聞のサイトにはこの件に関連する連載記事の特設ページがあります。かなり突っ込んで踏み込んだ調査や取材が行なわれていることがわかります。
京都新聞|軍学共同の道 - 「研究」の闇、たどり直すべき 連載のおわりに
その中で、上記記事に直接関連するのは、以下のものだと思われます。上記記事で見出しになっている「学位取り消し」云々は、事実確認があったうえでの最後の段階の話ですから、まずは検証が進められる必要があります。
特殊実験「サル」が頭痛? <731部隊軍医の博士論文>
立命館大平和ミュージアムに寄託されている「竹澤正夫資料」には、貴重な731部隊の写真が含まれている戦時中まで京都帝国大病理学教室の教授だった清野謙次が1955年に亡くなった通夜の席で、同教室で学んだ関東軍防疫給水部「731部隊」元部隊長、石井四郎元中将は話した。「ハルビンに大きな、まあ丸ビルの14倍半ある研究所を作っていただきまして、それで中に電車もあり、飛行機も、一切のオール総合大学の研究所が出来まして」(清野を追悼する「随筆遺稿」より)
旧満州のハルビン近郊にあった731部隊は終戦時で約3900人、博士号を持つ医官は53人いた。ペスト菌などの細菌戦を研究し、中国人捕虜らで人体実験をしたとされる。石井は恩師、清野の貢献を語る。
「先生が一番力を入れてくれたのが人的要素であります。各大学から一番優秀なプロフェッサー候補者を集めていただいた。先生が拍車をかけられまして、段々に、最後に大東亜の全面にわたつて、この民族線防禦(ぼうぎょ)の第1次完成をみたのであります」(同)
京大医学部を出て731部隊で凍傷研究をし、戦後は京都府立医科大学長になった吉村寿人によると、「京大の助教授・講師級の若い者が8名(病理学3、微生物学2、生理学2、医動物学1)が軍属として派遣されることになった」(「喜寿回顧」より)。戦後、京大出身の元731部隊員は医学界に戻った。石川太刀雄は金沢大医学部長、岡本耕造は京大医学部長に。
学者以外にも京大出身者はいる。石井の片腕といわれた増田知貞軍医大佐も、戦後ミドリ十字を設立した内藤良一軍医中佐も京大医学部卒。731部隊の人脈。製薬業界で成功した元隊員も多い。石川らが米側に人体標本と引き換えに戦犯を免れたことが、研究者が発掘した米側資料で裏付けられている。
<遊泳船真紅き浮標のすぐ横に>
石川太刀雄が京大時代に夏の琵琶湖で遊覧船に乗り、真野の沖合を進んで雄松(近江舞子)の船着き場で作った句。文芸にも夢を抱いた若者たちは、軍事研究でその人生を変えた。
731部隊は終戦時に施設を爆破し、元隊員の多くは沈黙を守った。京大がどう関与してきたか、全容は明らかではない。
西山勝夫滋賀医科大名誉教授は、京大が731部隊関係者33人に医学博士号を授与した論文を検証してきた。イペリット、炭疽(たんそ)菌、コレラ菌…学位論文の題は731部隊の研究と重なる。京大で保存されていない論文もあるという。
京都府精華町の国立国会図書館関西館へ向かった。閲覧したのは、731部隊の平澤正欣軍医少佐が終戦直前の45年5月、京大に提出した博士論文「イヌノミのペスト媒介能力ニ就(つい)て」。薄いリポートだ。「特殊実験」でペストを保菌するノミを付着させると「サルは附着(ふちゃく)後6~8日にして頭痛、高熱、食思不振を訴へ」たと論文に書いてある。1匹は39度以上の熱が5日続き、付着後13日目に死亡。論文を発掘した常石敬一神奈川大名誉教授は「サルが頭痛を訴えるだろうか?」と、人体実験だと指摘する。
記者は日本モンキーセンターと京大霊長類研究所に「サルの平熱は何度ですか?」と尋ねた。サルの種類を特定しないと体温が違う上、睡眠中は朝方に低いなど1日でも変動する。霊長類研は「ブタオザルとニホンザルの場合、昼に38~39度くらいが、人間の平熱に相当するのでは」という。素人の目でも医学博士の論文にしては、ずさんにみえる。
(12回続きの7回目)
【 2018年01月20日 19時00分 】
「軍機」医学、歴史の闇に <731部隊軍医の博士論文>
731部隊の石井四郎部隊長からの書簡(立命館大平和ミュージアム・竹澤正夫資料)京都府精華町の国立国会図書館関西館で閲覧した731部隊の平澤正欣軍医の博士論文には不自然な点がある。当時の学術論文でも実験にサルを使う場合、通常は「タイワンザル」などと特定して書く。「特殊実験」とは人間にペストを感染させた生体実験だと、複数の研究者が指摘している。
平澤軍医は戦死したが、終戦後の1945年9月、京都帝国大医学部は博士号を授与した。医学者を派遣するだけでなく、軍医らに博士号を出す学術的権威の仕組みとして帝国大学は731部隊を支えた。軍事機密の判を押され、公開されなかった学術論文。
京大に対し、人道に反した不正な論文だとして、今月にも「731」学位検証を求める会を設立する準備が、京滋で進められている。
京都帝大医学部4年の時に731部隊長石井四郎の講義があったと、昨年105歳で亡くなった日野原重明・聖路加国際病院名誉院長は何度か語ってきた。「細菌、ウイルスを食事や動物を介して患者に感染させて、何週間で熱がこのように出て、脳死を起こして死んでしまうというグラフなどもありました」(2012年「医師のミッション-非戦に生きる」)
731部隊の実態を知る元隊員は戦後73年を経て、もう少ない。だが、歴史的な資料を次代に継ごうとする人はおり、貴重な資料が京都にもある。
立命館大国際平和ミュージアム(京都市北区)に09年、「竹澤正夫資料」が遺族により寄託された。731部隊員の生活や武道日誌。極秘印が押された「野戦防疫給水部勤務ノ参考」。ノモンハン事件に731部隊が出動、銃撃され重傷を負うなどした「国境事変出動日誌」もあった。
中でも戦友会誌のため戦後寄せられた北條円了軍医大佐の書簡と直筆原稿は貴重だ。ドイツで細菌学も研究した東京帝国大医学部卒。731部隊でチフス研究をした経過を述べ、敗戦時にドイツから戻る途中、米国で勾留され尋問された様子も記す。癖のある字で、長文だが、北條軍医は自分が生体実験をしたとは一言も書いていなかった。
竹澤氏は元731部隊員だが、武道師範で太平洋戦争開戦に同部隊を離れている。戦後は警察で武道教師として勤務、戦友会の事務局も務めた。戦中は、研究施設とは遠く、少年隊員の「東郷学校」教育や自治会と、普段の暮らしのあったことが資料から読み取れる。細菌研究と無縁だったからこそ資料を廃棄せず、戦友会活動にも熱心だったのかもしれない。
2006年、竹澤氏は長野県で亡くなった。孫の男性(31)は遺品を整理している時、「石井四郎」とある書簡に気付いた。731部隊は中学生の時に森村誠一氏の「悪魔の飽食」を読んで知っていた。
祖父は戦争の話をせず、祖父が野戦病院で命を取り留めたと祖母から聞かされたぐらい。祖父は几帳面で731資料を封筒で分類し、アルバムには説明も付されていた。「森村誠一さんの731部隊についての本に、祖父は線を引いていました。戦後、複雑な思いだったでしょう。731部隊は施設を爆破し証拠隠滅したとされますが、極秘資料を祖父が持ち帰ったのは奇跡的です」
731部隊の人体実験を巡って論争があり、追及する研究者に「売国」などと匿名の罵倒がネットで飛び交う。身内が負の歴史に関わったことを公にするのは勇気がいったのか、聞いてみた。
「いいえ。自宅で保管するよりも、1次資料を散逸させず、歴史の暗部を探究する人に役立てたい」。孫はデリケートな隊員の個人情報も含む資料に対応できる博物館を全国で探し、平和ミュージアムに行き着いた。(12回続きの8回目)
■【次回】 不失其正。そう書かれた扁額(へんがく)が明治35年築の京大医学部資料館、旧解剖学講堂に掲げてあるという。中国の古典「易経」から、正しさを見失わないことの意。731部隊の系譜をたどり、石井四郎と病理学教室清野教授が出会った大正時代へ、樺太のアイヌ民族の遺骨へとさかのぼる。医学部資料館を訪れると、扁額は修復中で取り外されていた。
【 2018年01月20日 19時10分 】
ともあれ、この件に関する京大医学部の態度にいろいろと問題があることはかねがね指摘されていますので、そうした検証が簡単に進むとは考えられません。この動きが「大学に対して学位撤回を求める運動」という形をとるのも、そうせざるを得ない理由があってのことです。
blue-black-osaka.hatenablog.com
blue-black-osaka.hatenablog.com
追記:件の博士論文は、その翻刻がpdfファイルで読めるようになってるんですね。識者コメントは、これを読んだうえでのものをお願いします。