「新国立競技場」とかいう駄目スタジアムの駄目なところ、改めての指摘

サッカーだけでなく、スタジアムについても本を書いている後藤健生氏による「新国立競技場」評。問題点がわかりやすくまとまっています。

 どうしても「後利用」のアイデアが見つからなかったら、いっそのこと「取り壊し」も視野に入れるべきだろう。もちろん取り壊すにしても数百億円の費用はかかるが、これから数十年も巨額の維持費を負担し続けるよりはマシだ。

ああ、言っちゃった。その通りなんですけど。

2019.07.12
やっちまったな、新国立競技場。
五輪後改修せずで、負の遺産化懸念
後藤健生●文 text by Goto Takeophoto by Getty Images

 いよいよ完成が間近に迫ってきた新国立競技場だが、五輪終了後の「後利用」問題を巡っては迷走状態が続いているようだ。2017年には「五輪終了後は球技専用に改修する」と決まっていたのだが、先日、一転して「陸上トラックを残すことになった」と報じられたのだ。

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公開された、完成間近の新国立競技場の内部

 しかも、その最大の理由は「陸上競技振興のため」とかでなく、「改修費がかかりすぎるから」というのだ。まったく理念のかけらも感じられない論議が続いている。

 1500億円超という巨費を投じて建設される新国立競技場。完成後は維持費だけでも毎年20億円以上がかかると言われている。

 シンプルな構造の旧国立競技場に比べて、構造が複雑な巨大スタジアムは維持費も跳ね上がるのだ。従って、採算が取れる見通しもまったく立っていないのが現状だ(もちろん、あの「ザハ・ハディド案」に比べれば建築費も維持費もかなり縮小されてはいるのだが……)。

 最大の問題は、東京五輪終了後にあの巨大なスタジアムを何のために使っていくのかが、まったく決まっていないことだ。

 スタジアムとして活用できたうえで赤字になってしまったのなら、「日本のスポーツのためのコスト」と考えて納得することもできるが、十分に活用できずに毎年巨額の維持費だけがかかるというのでは、納税者としてとうてい理解できることではない。

 まさに「負の遺産」と言わざるを得ない。

「陸上トラックを残す」というのだから、陸上競技に使うつもりなのだろうか。

 たしかに、サニブラウン・ハキーム桐生祥秀といったスター選手の登場で、陸上競技は活況を呈している。しかし、陸上競技の大会で新国立競技場の大きなスタンドが埋まるとは思えない。それなら、陸上競技連盟が高い使用料を払ってまで新国立競技場で大会を開く理由はない。

 もちろん、世界陸上でも開催すれば大観衆が集まるだろうが、それは数十年に一度のこと。しかも、サブトラックのない(東京体育館横の200mのトラックしかない)新国立競技場で世界陸上を開くことはかなり難しいことだろう。

 一方、球技専用に改装したとしても採算が取れる見通しは立たない。

 明治神宮外苑には、数年後には秩父宮に代わる新ラグビー場が建設される予定になっているから、「球技」といっても新国立競技場の使用が想定されるのはサッカーということになる。

 しかし、今後、Jリーグではパナソニックスタジアム吹田のようなサッカー専用の手頃な大きさのスタジアムが主流になっていくはずだから、新国立競技場はJリーグクラブの本拠地としては使いづらい。巨大すぎるし、使用料もかさみ、しかも陸上トラックを撤去したとしても試合が見にくいことに変わりないからだ。

 陸上トラックを撤去してそこに観客席を設ければ、たしかに観客席の最前列はピッチに近くなる。だが、メインスタンドやバックスタンドからピッチまでの距離は陸上競技場の時と同じなのだから、試合が見やすくなるはずがない。

 陸上競技場からサッカー場に転用されて成功した例としては、イングランドマンチェスターにあるエティハド・スタジアムがある。もともと、2002年のコモンウェルスゲームズ(英連邦大会)のメイン会場として建設された陸上競技場だったのだが、同大会終了後に改装されて2003年以降はプレミアリーグ王者マンチェスター・シティのホームスタジアムとなっている。

 このスタジアムの改修が成功したのは、設計段階から後利用計画(サッカー場への転用)が決まっていたからだ。

 たとえば、サイドスタンドはスタンドをサッカー用にあらかじめピッチに近いところから建設しておき、その後スタンドの下部分とピッチを埋めて、その上に陸上トラックを設けたのだ。英連邦大会終了後はトラックを撤去して埋めた分を掘り下げてサッカー場に改装したから、スタンドからはゴール前の迫力あるシーンを間近に見ることができるようになった。ピッチを掘り下げてサッカー場に改修したおかげで、英連邦大会の時(陸上競技場時代)に収容力3万8000人だったスタンドは5万5000人規模に拡大された。

 新国立競技場でも、「後利用」を決めてから設計しておけば、エティハド・スタジアムのようにサッカー場に改修することもできたし、アトランタ五輪(1996年)のメインスタジアムのように野球場(アトランタ・ブレーブスの本拠地)に転用することもできた。あるいは、大会後にダウンサイジングして3万人収容程度の陸上競技専用スタジアムにして、空いたスペースにサブトラックを作ることも可能だったはずだ。

 しかし、すでに完成に近づいてしまったスタジアムを改装することは、容易なことではない。

 コンサート会場として使用すれば、採算は取れるのかもしれないが、巨大なアリーナを埋めることができるアーティストはそれほど多くないだろう。

 どうしても「後利用」のアイデアが見つからなかったら、いっそのこと「取り壊し」も視野に入れるべきだろう。もちろん取り壊すにしても数百億円の費用はかかるが、これから数十年も巨額の維持費を負担し続けるよりはマシだ。

https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/other/2019/07/12/___split_33/index.php

前にも言いましたけど、その近隣でさいたまも横浜(日産)も東京(味スタ)も使える日本サッカー界は、このスタジアムに関わることを避けた方がいいと思いますよ。未練を残す価値のあるハコではありません。

同じスポルティーバ杉山茂樹氏が2017年に指摘していた問題点、何一つ改善しないまま、今に至ってるんですから。

2017.08.25
新国立競技場にサッカーファンの疑問。
スタンドがなだらかすぎないか?
杉山茂樹●文・写真 text & photo by Sugiyama Shigeki

 昨年12月に着工した新国立競技場。掘削工事、地下工事などを経て、この夏、ようやく地上工事が始まった。

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急ピッチで地上工事が行なわれている新国立競技場

 姿を現したのは、バックスタンドの1階席部分の骨組みだ。スタンドは観客にとってスタジアムで一番重要な場所。サッカーファン(ラグビーファンもそうだろうが)は、その眺望に対して並々ならぬこだわりを持つ。その傾斜角。急なほど見やすく、緩いほど見にくい。視角はスタジアムの善し悪しを分ける分岐点。まさに生命線なのだ。 

 ところがだ。出現したその骨組みの傾斜は「嘘でしょ」と、目を疑うほどなだらかだった。新国立競技場をめぐる騒ぎは終わっていない。というか、今回は、いくら騒いでも後戻りすることはできない、まさに”後の祭り”の状態に置かれている。

 設計者である建築家の隈研吾(くま・けんご)さんは、スタンドの形状について、自身の著書『なぜぼくが新国立競技場をつくるのか』(日経BP社)の中で、図解をまじえて示している。だが、その内容は世の中にほとんど伝わっていない。少なくとも筆者が知ったのはつい先日。それまで、新国立競技場にまつわる情報は、ネットやテレビで垣間見た模型(五輪開催時のもの)のみだった。

 著書には以下のような内容が記載されていた。

(観客収容数は)五輪時で6万人。球技専用に改修されると8万人。3層のスタンドからなる構造で、1階スタンドの傾斜角は20度。階段の数は五輪時で32段。球技場改修後は8段増えて40段。座席数は五輪時で1万5000席。改修後は3万4000席となる。

 1階席のスタンドが、球技専用施設への改修後、陸上トラックを覆うようにピッチ方向に8段分伸びていくとすれば、20度という五輪時の傾斜角は、ピッチを下に掘り下げない限り、さらに緩くなる。16~17度ぐらいになるだろう。

 3万4000人もの観衆が10度台という緩すぎる視角で、サッカーやラグビーを観戦することになる。この、あってはならない大問題に、メディアの反応は鈍い。

 隈研吾さんはこの著書で、3層式のメリットや、神宮外苑の杜との調和については積極的に語っているが、なぜこの傾斜角になったかについての言及はなかった。サッカーファンがその点に大きな関心を寄せていることに気づいていない様子だった。設計者に願いが通じていなければ、願いが叶うはずがない。仮に設計者がサッカーファンの心情を知らなかったとしても、間に入ってやりとりしているのは誰なのか。陸上トラックのない球技専用スタジアムになったあとで、視角が緩くても問題なしと判断したのは誰なのか。

 ちなみに、2階席のスタンドは五輪時で1万6500席、球技場改修後で1万7500席と1000席しか変わらない。スタンドの傾斜角は29度で一定。そして3階席も改修前と改修後とで座席数は2万8500席で変わらず。傾斜角もいずれも34度で変わらずだ。

 3階の傾斜角はまずまずだが、観客は1階席から埋まっていく。大入りが見込めない試合では、3階席を開放しないのが通例だ。

 参考までに、見やすいとされる国内のスタジアムとそのスタンド傾斜角を紹介すれば、次のようになる。

吹田スタジアム=35度
・北九州ミクニワールドスタジアム=37度
豊田スタジアム=38度
鳥栖ベストアメニティスタジアム=40度

 いずれも2階席の傾斜角だが、1階席も遜色なく、スタジアムは全体的に急傾斜のスタンドに覆われている。

 海外では、アムステルダム・アレーナサンティアゴ・ベルナベウマドリード)、サンシーロ(ミラノ)、メスタージャ(バレンシア)などが、38度を超える急傾斜のスタジアムとして知られている。

 3万4000人もの観衆が10度台の視角でサッカー観戦を強いられることになる新築スタジアム。世界広しといえども、そうザラにはない珍しいスタジアムだ。

 陸上トラックのない球技専用スタジアムの魅力はと問われれば、多くの人は臨場感をまず挙げる。ピッチとスタンドの距離が近いので、臨場感が堪能できると。それはそれで確かに魅力だが、それがすべてではない。臨場感を味わうことだけがサッカーの楽しみ方ではない。

 サッカーの観戦通が求めるのは俯瞰という視点。どれだけ鋭い視角でピッチをのぞき込むことができるか。この欲求に新国立競技場は応えることができていないのではないか。少なくとも3万4000席がサッカー観戦の魅力を堪能できない設計になっている。その方向で建設が始まり、すでに緩い傾斜角の骨組みを露出させている。

 スタジアムの寿命は約50年。改修すれば寿命はさらに延びる。一度建設されたら、壊せない巨大建築物だ。後世へ残す遺産。まさにレガシーだ。可能な限りよいものを後世に残す義務がある。

 当初のザハ・ハディド案が、建設費が高額すぎてキャンセルになったという経緯があるので、コストについては、国民もメディアも大きな関心を寄せていたが、新国立競技場に何を望むのかという中身の議論は進まなかった。

 その模型を見ることができた人もごく僅か。スタンドの傾斜角に問題ありと言い出す人はいなかった。関係者にそれを重視していそうな人が見当たらなかった。危うさは当初から漂っていた。起こるべくして起きた事態。悪い予感が的中した格好だ。

 五輪後、6万人収容から8万人収容の球技場に変貌する新国立競技場の姿は、いったいどこに行けば見ることができるのか。それにともなって1階席部分はどう変化するのか。世の中には許しがたいものが数多く存在するが、これなどはその最たるものになりかねない。事後承諾はできない。

https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2017/08/25/___split_95/index.php

2階席のいちばん上奥でもピッチ全面が近くに俯瞰できる吹田(パナスタ)を経験した上で、そんなスタジアムでサッカーが見たい(やりたい)と思える人がいるとは、とても思えないんですよねえ。

sportiva.shueisha.co.jp
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